政府は水俣病被害者救済の期限を七月までと区切った。それで終わりにしたいらしい。世界史に刻まれた公害の負の遺産、国として最後まで真剣に向き合うべきだ。なのに、何を急ぐのか。
二〇〇九年、自民、公明、民主の合意で成立し、「第二の政治決着」と言われた水俣病特別措置法は、矛盾をはらんだ法律だ。
「救済及び解決の原則」として「救済を受けるべき人々があたう限りすべて救済されること」(三条)と明記しながら、「救済措置の開始後三年以内を目途に救済措置の対象者を確定」(七条)と、締め切りを設けている。
あくまでも患者とは認定せずに「被害者」として、二百十万円の一時金などを支給する。
細野豪志環境相は七月までの半年間、広報を徹底し、すべての被害者を救済するという。しかし、水俣病は根が深い。当初は遺伝病、伝染病との風評が立ち、地域社会からはじき出された患者が全国に散らばった。今になっても自ら名乗りを上げることをためらう人は多かろう。
第一、水俣病という病気の正体がまだ確定していない。政府と最高裁が異なる認定基準を示しているほどだ。政府は水俣湾を含む不知火海一帯の住民健康調査には、なぜか及び腰になる。認定患者は新潟水俣病も含め約三千人、潜在患者は二十万人とも言われている。自分が水俣病とは知らない、多くの患者が見つかるはずだ。
それなのに特措法は、生まれた年や地域で救済の範囲を限る。つい最近、熊本県芦北町の救済対象外の山間部で、水俣病の症状を抱える住民が三十七人、検診で確認されたばかりである。毎日のように魚の行商が来ていた地区という。いまだにこのような人たちが“発見”される現実を、政府は直視すべきである。
水俣病と福島第一原発事故は、似通ったところが多い。
水俣病の原因企業チッソは、原子力産業同様、戦前は大陸経営、戦後は高度経済成長に、軍部や政府と歩調を合わせて邁進(まいしん)してきた国策企業の雄だった。政官学の擁護が被害を拡大させた。放射能汚染の影響も広範囲に及び、風評被害を伴う被ばくの実態は医学的にも明らかにされにくい。
ここで水俣病患者、被害者のための対策を誤れば、過去だけでなく未来に大きな禍根を残すだろう。水俣病の全容がわかるまで、救済は無期限でなされるべきだ。
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