古書店主としての日常をつづったエッセーで知られる作家の出久根達郎さんが、万引に関する話を書いている。六、七人が働く大きな古書店で店頭に飾ってある全集十数組を一度に盗まれた、という話だ▼白昼堂々、二人組が台車に積み込み、車で運び去った。平然と運ぶのでお客さんと勘違いしてしまい、積み込みまで手伝ってしまった店員もいたほどだ。万引犯が「それじゃいただいていきます」と礼を言うものだから、金を払ったと思い込んだ店員は「毎度…」と頭を下げたという(『漱石を売る』)▼「大仕掛のあからさまな犯罪は、果して万引と称すべきかどうか」と出久根さんは書いているが、悪事もこっそりではなく堂々とやれば、ばれにくいということなのだろうか▼おれおれ詐欺の被害が再び増加しているという。目立っているのが被害者の自宅に直接、現金などを受け取りに行く訪問型の手口だ。悪いことをする人間がわざわざ素顔をさらすことはないだろう。そんな油断を誘うのも狙いなのかもしれぬ▼「万引というのは、やられた側にすれば、知らない間にやられたなら、いっそ気がすむのである。なまじ相手の顔を見、言葉をかわしていると、くやしさがひとしお募る」と出久根さん▼おれおれ詐欺の被害者はどうだろう。人生の晩年になけなしのお金を奪われた悔しさと痛みは想像するのも辛(つら)い。