ミャンマーが政治犯の大量釈放に踏み切ったことで、民主化は本物だという期待が高まっている。少数民族との和解も進んでいる。歴史的にも関係の深い日本は、その役割を十分に果たしたい。
日本は一九五四年に当時のビルマと国交を結んだ。独立運動の指導者で、スー・チーさんの父でもあるアウン・サン将軍は日本軍と協力したこともある。国民の多くが敬虔(けいけん)な仏教徒で、日本と歴史的に交流が活発だった。日本からの直接投資は、八八年から二〇〇七年までの累計で約二億千二百万ドル(約百六十三億円)と少ない。ミャンマーはエビや衣類を、日本は自動車などを輸出している。経済交流はもっと増やしたい。
民主化運動の指導者スー・チーさんが率いる政党、国民民主連盟(NLD)が今月中旬、初の党機関紙「民主の波」を発行した。発行を許可した情報省は検閲をしなかったという。民主改革の柱の一つである言論統制の緩和が大きく進んでいる表れと評価したい。
一四年の東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国就任が決まったミャンマーは、これまで見送ってきた学生運動出身の著名な民主活動家を釈放し、軍政時代に失脚した元首相の自宅軟禁も解いた。重大な刑事犯以外のすべての政治犯を釈放したという。対立してきた少数民族のカレン族との歴史的な停戦合意も成し遂げた。
独裁の汚名返上に努力してきたミャンマーの歩みは、後戻りしないと期待できる段階にきたといえる。米国は「行動には行動で応える用意がある」として、軍事クーデターに抗議して九〇年に召還していた大使を派遣する用意があることを伝えた。
民主化に向かって仕上げともいうべき大切な事業が、四月の連邦議会の補欠選挙となる。二年前の総選挙では、軍政がスー・チーさんの排除を目的に政党登録法を定め、NLDが選挙をボイコットした。日本政府はスー・チーさんを含む国民和解と民主化の進展を働きかけている。NLD有利の予想の中、公正な選挙が実施されるか国際社会は注目している。
ミャンマーは庇護(ひご)者であった中国との距離を取り、民主化を進めて欧米や日本に経済制裁の解除を求める姿勢を鮮明にしている。北朝鮮との軍事関係の解消など、まだ解決すべき課題はある。だが、ミャンマーの本気度に応える形で日本らしい経済交流を進め、国際社会への復帰を支えたい。
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