神戸のデートスポット「メリケン波止場」の一角に、崩れ落ちて波に洗われている岸壁がある。阪神大震災で甚大な被害を受けた港湾施設の一部が残され、震災の記憶を伝えている▼六千四百三十七人もの死者と行方不明者を出した震災は、きょうで十七年を迎えた。あれだけの大災害だったのに、その被災地で痕跡を見つけることは難しい。メリケン波止場は貴重な場所である▼焼け野原になった長田地区を歩いた。道幅の広い道路ばかりで、かつての路地は消えた。高層の復興住宅や広い公園、空き地が目につく。ひっそりと慰霊碑が立つ公園もあるが、多くの命が失われた場所とは想像しにくい▼倒壊した家から、間一髪で救出された女性がいた。激震の後、長屋の豆腐屋さんから火が出て、すぐに燃え広がった。知人は下敷きになったまま炎に包まれた、とまるできのうのことのように生々しく語ってくれた▼震災の日の夕方から一週間、火災の現場や救出作業を取材した時、こんな大災害はもう起こらないと思っていた。そんな予感は十六年余りで吹き飛ばされた▼東北では、陸に乗り上げた大型船や廃虚となった町の庁舎を「記憶遺産」として、残そうという動きがある一方、つらい思い出がよみがえるからと反対する声もある。記憶は必ず風化する。次の世代にどう伝えてゆくのか。その方法を考えていきたい。