百七人の命を奪い、多数が負傷したJR西日本の脱線事故で、裁判所は企業トップの刑事責任を認めなかった。法的には無罪でも、悲惨な事故を起こした企業の体質は、何度でも省みたい。
判決は、JR西の前社長について、「過失は認められない」として、無罪(求刑は禁錮三年)を言い渡した。現場のカーブで事故が起きる可能性を認識したが、自動列車停止装置(ATS)を設けるよう指示すべき業務上の注意義務を怠ったとする、検察側の主張は退けられた。
国土交通省の事故調査委員会は、死亡した運転士のブレーキのかけ遅れが主因と断定している。カーブの半径を六百メートルから半減させる工事をした当時、カーブでのATS設置に法的な義務はなく、鉄道会社の自主判断に任されていたという事情もある。
裁判所がこのような状況も総合判断し、トップには事故の予見可能性や安全対策での過失は認められないと判断した無罪判決が理解できないわけではない。
だが、こうした事故が起きた背景や企業風土について、深く考える必要があろう。それが、重く無罪を受け止めることでもある。
被告は公判で「真実を述べる」と約束した。しかし、事故調の報告案を委員に働きかけ公表前に漏えいさせた。遺族との信頼関係を壊し、心から反省しているかどうか疑わせるような行為だった。
JR西には業務中のミスについて懲罰的な日勤教育があった。遅れを取り戻そうと速度超過でカーブに入った背景に日勤教育もあったと、被告自身が認めている。
捜査段階で、複数の社員が現場カーブの危険性について証言しながら、公判では次々と自らの調書をくつがえした。これまで指摘されてきたJR西の上意下達や隠蔽(いんぺい)体質と無縁ではなかろう。
常識的な企業感覚なら、スピードを出し過ぎて危険なカーブに入る可能性もあると考え、予防措置をするのではないだろうか。
裁判所はトップを無罪としたが、JR西の安全対策を批判した。
被告の元上司で、強制起訴されている三人の歴代社長の時代から続く企業風土が、事故の伏線になった可能性は否定できまい。
交通機関の大きな事故で、現場担当者でなく、経営幹部の刑事責任を問う裁判は異例だ。こうした事故で、法人としての企業の責任を追及できるような手だても、考えていく必要があろう。
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