HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 48759 Content-Type: text/html ETag: "f4248-11ce-4b5d4edd1ebc7" Expires: Fri, 06 Jan 2012 23:22:20 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Fri, 06 Jan 2012 23:22:20 GMT Connection: close 1月6日付 よみうり寸評 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)




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1月6日付 よみうり寸評

 1972年9月8日、ミュンヘン五輪のあの夜を思い出す。男子バレーボール準決勝の日本―ブルガリア戦◆松平康隆監督率いる日本チームは最初の2セットを落とし、断崖に立たされていた。金メダルの夢も一歩手前で絶たれるのか。第3セット、0―4の土壇場で、監督は最年長31歳の南将之をこの大会で初めて起用した◆続いて30歳の中村祐造主将を投入。一か八かの大ばくちなどともいわれたが、そうではない。何年もかけて救急車か消防車のように、こんなピンチに起用するため訓練してきた二人だ◆こうして〈奇跡の大逆転〉が始まった。「これから2時間戦うぞ!」監督の声に応えて、チームは3時間半に及ぶ熱闘を戦い、3―2の大逆転勝利◆この苦闘があって翌日の決勝があった。東ドイツを破り悲願の金メダル獲得。ミュンヘンは松平監督と12人の選手の心のふるさとになった。あれから40年になる◆巨星松平康隆逝く。81歳。先に逝った中村、猫田、南らとミュンヘンの空できっと再会していると思う。

2012年1月6日14時00分  読売新聞)

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