消費税率引き上げはマニフェスト違反ですが、批判ばかりでは実りはありません。政策を正すには民(たみ)が政治を諦めず、政治家に思いを伝え続けなければ。
二〇一二年の日本政治は、野田佳彦首相の四日の記者会見で幕を開けました。
消費税率を段階的に引き上げ、一五年に10%とする「社会保障と税の一体改革大綱」の素案なるものが年末に決まり、首相会見も、その実現への決意を語るものでした。「この問題は、どの政権でも先送りできないテーマです。誠心誠意(野党側に協議を)呼び掛けていきたい」と。
◆大義なき消費増税
そして、第二次世界大戦時にチャーチル英首相が語ったという言葉を引き合いに出して「Never, never, never, never give up。大義のあることを諦めず、しっかり伝えるなら、局面は変わると確信しています」とも強調しました。これらの言葉からは、消費税率引き上げに懸ける首相の並々ならぬ決意が伝わってきます。
でも、ちょっと待ってほしい。消費税増税はいつの間に民主党政権の大義と化したのでしょうか。
歴史的な政権交代を果たした〇九年衆院選で民主党が掲げたマニフェストのどこにも、そんなことは書かれていません。民主党政権の四年間に消費税を引き上げることはないとも約束していました。
一体改革の素案を決める段階では当初、一三年十月に8%に引き上げる党執行部案が提示され、最終的には半年先送りを決めました。
一三年十月からの引き上げだと現在の衆院議員任期中に実施を閣議決定することになり、公約違反になるからだそうですが、そんなことはまやかしにすぎません。消費税率を引き上げるのなら堂々と「税率引き上げを検討する」とマニフェストに書くべきでした。
◆ムダの一掃が先決
首相に政権の大義と感じてほしいのは、むしろ行政の無駄をなくすことの方です。野田首相だけでなく、歴代の民主党政権はマニフェストで約束した「税金のムダづかい」一掃にどこまで死力を尽くしたというのでしょうか。
営々と積み上げられてきた政官財の既得権益を打ち破るのは困難な作業だと、国民は理解しています。しかし、それをやると言ったからこそ、民主党に政権を託したのではないでしょうか。
自分たちの力量不足のツケを、消費税増税という形で国民に押し付けられてはたまりません。
少子高齢化社会の本格的な到来に伴う社会保障費の増大や危機的な財政状況を改善するためには、いずれ消費税率の引き上げは避けられないと、国民の多くは理解しています。
しかし、穴の開いたバケツにいくら水を注ぎ込んでも水がたまらないように、無駄遣いが残る行政機構にいくら税金をつぎ込んでも財政状況はよくならず、国民経済は疲弊するばかりです。
首相がまず力を注ぐべきは、増税ではなく、国会や政府が身を削ることです。その順番が違うことに、国民は怒りを感じるのです。
自民党や公明党による政権攻撃は野党の役目柄、仕方がないとしても、国会が不毛な対立ばかり繰り返しては国民の不信を買うのも当然です。ここは、行政の無駄を削るという与党の試みに協力してはどうか。困難な仕事にこそ与野党が力を合わせるべきです。
民主党は消費税増税に当たり、衆院議員定数の八〇削減や国家公務員給与の削減などを前提条件にしました。国会や政府の無駄を削ろうとする意欲の表れとして評価できますが、注文もあります。
定数は比例代表からの削減を避けてほしい。比例削減は少数政党切り捨てにつながるからです。
議員一人当たりの経費は年間一億円程度で、八〇削っても八十億円の削減にしかなりません。むしろ年間約三百二十億円に上る政党交付金の方を削減したらどうか。
一〇年分の収入に占める政党交付金の割合は民主党は八割超、自民党も七割近くです。もはや国営政党の状況で、国のお金で成り立っている点で官僚と同じです。
政治家と官僚は対立しているように見えて実は一蓮托生(いちれんたくしょう)です。この状況を脱しない限り、行政の無駄に果敢には切り込めません。
◆成立前に信を問え
首相は会見で衆院解散の時期には触れませんでしたが、消費税増税法案の成立後、実施前に解散する腹づもりなのでしょう。しかし、それは姑息(こそく)です。増税確定前に国民の信を問うのは当然です。
政権交代への期待が高かった分、失望も大きい。だからといって政治を諦めてはなりません。民が無関心を決め込んだ瞬間、政治家と官僚の暴走は始まります。根比べの今が正念場なのです。
この記事を印刷する