HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 49280 Content-Type: text/html ETag: "f4bed-13a7-4b5b6847fbbfc" Expires: Wed, 04 Jan 2012 20:21:46 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Wed, 04 Jan 2012 20:21:46 GMT Connection: close 1月5日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)




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1月5日付 編集手帳

 「残念記」と題する日記帳にその日その日の過ちを書き留めようとしたのは、鍋島藩士の山本常朝である。三日坊主に終わった。聞き書き『葉隠』によれば〈(はて)もなく候故(そうろうゆえ)…〉、きりがない、と◆人は悔恨の種をまきながら生きている。書けばきりがないのは常朝さんの言う通りだが、過ちを書き記すことでその過ちに訣別(けつべつ)したような心持ちになれるのも、日記の功徳には違いない◆過ちの記述もおそらくは今日あたりから、帰省先や旅先での失敗という“晴れ着”を脱ぎ、職場やご近所が舞台の“普段着”に替わる頃だろう◆10年連用の日記帳を使っている。4年目に入った。去年の、あるいは一昨年の同じ日に何をしていたかを知るには便利だが、「あの日」が近づいてくる感触にペンを持つ手が止まる夜もある。地が揺れたとき、津波が襲ってきたとき、ああしていたら、こうしていたら…と、「残念」の一語ではとうてい言い尽くせない痛恨の情に、身を(さいな)んでいる被災地の方もいるだろう◆益体(やくたい)もないコラムを書いてしまった悔いや、懲りない二日酔いなど、ばかな失敗を(つづ)れる日々の、何と贅沢(ぜいたく)なことよ。

2012年1月5日01時42分  読売新聞)

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