HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Thu, 29 Dec 2011 22:21:37 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:先日、九十七歳で亡くなった群馬県上野村元村長の黒沢丈夫さん…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 先日、九十七歳で亡くなった群馬県上野村元村長の黒沢丈夫さんは戦時中、零戦隊の指揮官や参謀として、各地を転戦した歴戦の飛行機乗りだった。日米開戦の時はフィリピンの米軍飛行場攻撃に参加し、激しい対空砲火を浴びて被弾し、奇跡的に生還したという▼過疎の村の村長になったのは五十一歳の時だ。十期、四十年間務め、退任時は九十一歳。この記録はおそらくだれも破れないだろう。その黒沢さんの存在感が際立ったのは、御巣鷹の尾根に墜落した日航ジャンボ機の救難活動だ▼山の中を知る消防団員に捜索隊を案内させるなど陣頭指揮を執った。慰霊施設や尾根への登山道の整備などにも尽力し、遺族からの信頼も厚かった▼海軍兵学校の同期生の半数以上が戦死し、特攻で出撃する仲間を何度も見送った。そんな経験があるからこそ、機内で死を覚悟し、家族を思いながら亡くなった人たちに特別な思いがあったという▼「平成の大合併」に反対していた黒沢さんに話をうかがったことがある。国が主導した強制的な市町村合併に異を唱える論拠は、少数意見を尊重する憲法の理念だと力説していた姿が印象に残っている▼「戦後、押し付けられた憲法かもしれないが、少数派の立場を尊重する憲法の精神を地方自治に生かしたい」。元軍人として九条には批判的だったが、国策と闘う気迫にあふれていた。

 

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