七十八歳の誕生日を迎えられた天皇陛下。皇統の未来は国民にとっても関心事です。皇室が永遠であるためには、皇室もまた変わらなければなりません。
先月の気管支肺炎での入退院から間もないこともあって、ことしの天皇誕生日に恒例の記者会見はなく陛下の「ご感想」の公表となりました。回答文書の大半が東日本大震災に費やされ、成人を迎えた秋篠宮家の眞子さまや五歳の着袴(ちゃっこ)の儀を終えた悠仁さまなどお孫さんたちへの言及はなく、話題になっている公務負担の軽減や天皇の定年制論議にも触れられていませんでした。
◆女性宮家問題の緊急性
発言がないのは厳しい自己抑制からでしょう。私事は語らずの規律、憲法は国政に関する天皇の権能を認めていません。若い皇族の将来についてでも、法律改正にかかわりそうな事柄には発言を控え国民と国会の判断に委ねるとの態度を貫いているのでしょう。
しかし、かつて宮内庁長官は陛下が体調を崩した際、心労の背景に皇統問題があることを明かしました。十一月の十八日間に及んだ長期入院に高齢や七週連続の被災地訪問に加えて、皇統問題での心労があったに違いありません。陛下は語るのを許されません。その分、皇統問題は国民の側に投げられているのです。とりわけ女性宮家問題は喫緊の課題です。
皇室典範改正問題が大論争となった直近は小泉純一郎首相の時代でした。「皇室典範に関する有識者会議」は二〇〇五年十一月、女性・女系天皇を容認する報告書をまとめ、皇室典範改正案は、国会提出寸前の秋篠宮妃紀子さまの懐妊によって改正見送りの劇的な経緯をたどりました。
〇六年九月の悠仁親王の誕生で皇室典範一条の男系男子の皇位継承規定は、天皇−皇太子−秋篠宮−悠仁親王の順位で引き継がれていく見通しが立ちました。
◆悠仁さまの時代は
それに代わって浮上してきたのが女性皇族が結婚した場合、皇族の身分を離れることを定めた一二条問題でした。
現在の天皇陛下と皇族方二十三人のうち三十歳以下が九人、うち八人が未婚女性で六人はすでに成人で、結婚適齢期です。結婚で宮家を離れれば現在の皇室の業務に支障をきたすばかりか、悠仁さまが天皇になる時代には、天皇とその家族だけが皇室という事態に陥りかねません。
女性宮家創設は、結婚した女性皇族にも皇族として残ってもらえるよう皇室典範を改正、天皇の公務を分担、手助けしてもらうというのがまずもっての狙いなのですが、話が簡単に進まないのは、女性宮家創設がやがては女性・女系天皇の容認につながるのではないかとの懸念と警戒、根強い疑いがあるからです。
なるほど男系男子の皇統は次々世代の悠仁さままでは安定的ですが、その先は不明です。皇室典範改正問題論議を女性宮家創設の是非だけに絞り、女性・女系天皇容認論議は先送りしたとしても早晩は問題になってきます。男系の皇統断絶の非常事態に備えた法整備も国の責務だからです。女性宮家に皇位が継承され、皇統がその女系の子孫に引き継がれていくことがないとはいえません。
それが女性宮家創設反対、戦後皇籍離脱した旧十一宮家の皇籍復帰の提案と男系男子の皇統絶対との主張ともなっています。
史実かどうかの検証はおくにしても、古事記、日本書紀が語るのは万世一系の天皇の思想です。八人十代の女性天皇は存在しましたが、初代の神武天皇から百二十五代の今上天皇に至るまで皇統は男系で連なっています。
しかし、それは皇后以外の側室を持つことでやっと維持されてきたシステムでした。それでも歴代天皇の半数は皇后以外の庶子だそうです。現代に側室制度を復活させることも、皇后になられる方に男子出産を強いることも無理でしょう。男系男子の皇統継承の社会基盤は失われているのです。
皇位は「国民の総意」に基づきます。旧宮家の皇籍復帰案に国民の支持があるとも思えません。天皇家とは六百年も遡(さかのぼ)って隔たる傍系とあってはなおさらです。
◆万世一系が語るのは
神武天皇実在説の“正統皇国史観”の田中卓皇学館大学名誉教授は「皇室が尊いのは一系の天子が千数百年の一貫した統治者で他系が帝位を簒奪(さんだつ)した例がない事実にある。男系か女系かではない」と説きました。女性・女系天皇反対論者への激しい批判です。
これまでも、これからも天皇が祈るのは国の安寧と国民の幸福です。天皇の姿に見える無私や献身に男女の別はありません。皇祖神・天照大神が女神であるように女性・女系天皇に違和感のない時代が来るのではないでしょうか。
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