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災いを恨んだ年の暮れ、来年の賀状のあいさつ言葉に迷う人が多い。「一陽来復」の四文字を選んだ方もおられよう。衰えの極まった太陽が復活に転じる意味で、凶から吉に向かう例えでもある。暦の上では、きょうが変わり目の冬至になる▼昔から、この日は柚子(ゆず)湯につかり、南瓜(かぼちゃ)や小豆(あずき)粥(がゆ)を食べて息災を願った。夏の太陽は冬には植物の実に仕舞われていて、それに浴し、食することで命を養う意味があるそうだ。すたれがちな習わしだが、これに限らず、厳しかった今年は「古き良き日本」に癒やされる人が多かろう▼そして、冬至を過ぎると師走も「数え日」となる。年内も指折り数えるほどになった日々を言い、せわしさは募る。先急ぎするような気持ちと、見送ってたたずむような思いが入りまじるときだ▼〈時計でも/十二時を打つとき/おしまひの鐘をよくきくと/とても 大きく打つ〉。それは今日という日が別れていくため、とうたう室生犀星の詩にも似て、歳(とし)と別れる12月の打つ鐘が、今年はひときわ大きい▼今日という日が〈地球の上にもうなくなり……茫々(ぼうぼう)何千年の歳月に連れこまれる〉と犀星の詩は続く。2011年も間もなく過去の歳月にまじる。忘れたいこと。忘れ得ぬこと。忘れてはならないこと。誰もがかみしめつつの数え日となる▼列島はクリスマス寒波の到来だが、冬至の日に一陽来復を願う心には、素朴な再生への祈りがある。早い日暮れに灯(とも)る明かりのどの窓にも、人の幸いがあればいい。