南スーダンの国連平和維持活動(PKO)への自衛隊派遣が二十日閣議決定されます。活動は国づくりの支援。自衛隊の進むべき道筋が見えてきました。
陸上自衛隊が初めてPKOに参加し、カンボジア南部のタケオに派遣されたのは一九九二年でした。取材した懐かしさもあり、八年後の二〇〇〇年、黄土色の大地が広がる現地を再び訪れました。施設部隊が補修したプノンペンとタケオ間の国道2号、3号はデコボコ道に戻り、アジア開発銀行の融資を受けたカンボジア政府があらためて舗装し直したそうです。
◆PKOでインフラ整備
もともと兵力引き離しや停戦監視をする平和維持軍(PKF)が行き来するための応急補修です。活動が予定された期間だけ使える簡易舗装にしたので、全土が水没する雨期を迎えるうち、元の悪路に戻ったのです。事態を予想した隊員たちは「足跡が残る活動をしたい」と希望し、〇二年に始まった東ティモールのPKOでかなうことになります。
六百八十人の施設部隊は四カ所の宿営地に分散し、二年五カ月にわたり、道路を本格的に舗装しました。インドネシアから独立したばかりの東ティモールをインフラ整備を通じて、支援したのです。地元の人たちで作業が続けられるよう、重機の操縦方法を教え、撤収時にはブルドーザーや油圧シャベルなど百五十台を提供しました。
このときの経験が生きたのがイラク派遣です。イラクへの派遣は紛争後の国や地域に置かれたPKOへの参加ではありません。米軍と武装勢力が戦闘を続ける「戦地」への派遣でした。
「大量破壊兵器を隠し持っている」。米政府のうそから始まったイラク戦争を支持した小泉純一郎首相に、米国が求めたのが陸上自衛隊の派遣でした。戦争に反対する国々が多い中で日本には米国を応援してほしいというのです。
◆南スーダンで道路補修
日本政府は陸自派遣を決めましたが、戦闘に巻き込まれ、ただちに撤収するようでは米国への応援になりません。そこで治安のよいムサンナ州を選び、地元に受け入れられる活動を模索した結果、PKOで培った施設復旧などを行うことにしたのです。
イラクに軍隊を派遣した二十七カ国は、いずれも武力行使を伴う治安維持を担い、復興支援を目的にしたのは日本だけでした。部族と交流した部隊は地元の人々と融和。各国の軍隊が連日、見学のため宿営地を訪れるほどでした。
憲法九条の規定から海外で武力行使できない自衛隊は、普通の軍隊と比べて見劣りするどころか、軍事力の新たな活用策を示したといえるかもしれません。
現在、施設部隊三百三十人が派遣されている中米のハイチPKOでも、道路整備やがれき除去を行っています。韓国軍や日本の国際協力機構(JICA)とも連携して、活動の裾野を広げています。今回も重機十台を供与する予定で、住民に対する操縦方法の指導が始まっています。
南スーダンへの派遣は、PKOとしては七カ所目。予定されているのは、首都ジュバの水運に使われているナイル川までの道路を舗装し、JICAが行う港湾工事と結びつけることです。
こうして見てくると、得意分野は施設部隊によるインフラ整備であることが分かります。ゴラン高原PKOに派遣され、十五年にもなる輸送部隊は物資や人員を運んでいます。施設、輸送とも技術力がある日本ならではのPKO参加のあり方といえるでしょう。
政府は、このあり方を見直そうというのです。今年七月、政府の「PKOの在り方に関する懇談会」は中間とりまとめを発表する中で、参加すべき分野や武器使用基準の見直しを打ち出しました。発砲する危険が格段に高まるPKFにまで参加の間口を広げ、必要最小限にとどめている武器使用基準を緩めようというのです。
PKFに部隊を参加させているのはバングラデシュ、パキスタンのほか、アフリカや南米の国々。国連から支払われる兵士の給料が貴重な外貨獲得の手段になっている国々が目立ちます。
◆「戦う軍隊」を目指すな
自衛隊の海外活動が始まって二十年。政府は活動の総括をしてきませんでした。過去の蓄積の上に未来はあるにもかかわらずです。日本は日本らしく、憲法九条と技術力を生かした分野で国際貢献すればいい。国際緊急援助隊としての自衛隊の出動も十三カ国を数えます。地震や津波、台風の被害にあった人々を医療や防疫、給水、輸送の各分野で支援してきました。「海外で戦う軍隊」を目指すより、「人助けする自衛隊」に磨きをかけたいと考えるのです。
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