留学生として唐に渡り、帰国の夢を果たせなかった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の記念碑が、中国西安市の公園の隅に立っている。超難関の科挙に合格して唐の役人になり、外国人ながら鎮南都護(ベトナムの総督)を務めるなど、異例の出世をした人だ▼玄宗皇帝は有能な仲麻呂の帰国を認めなかった。三十六年を経てようやく帰国船に乗ることができたが、大しけに遭い、現在のベトナムに漂着する。親友が亡くなったと信じた李白は、死を悼む漢詩を書いた▼今秋、訪れた記念碑にその詩が刻まれていた。<日本の晁衡(ちょうこう)(仲麻呂の中国名) 帝都を辞し 征帆一片 蓬壺(ほうこ)をめぐる 明月帰らず 碧海(へきかい)に沈み 白雲愁色 蒼梧(そうご)に満つ>。帰国を果たせないまま、仲麻呂は都の長安で七十年余りの生涯を閉じた▼知識や経験を祖国のために生かしたいという思いは強かったはずだ。どんな思いで晩年を過ごしたのだろうか。碑の前に立って想像してみた▼福島第一原発の事故で、放射性物質に汚染された福島県内の土壌や焼却灰を保管する中間施設は、双葉郡八町村が候補地となるようだ。環境省が方針を固めたという▼避難住民には希望の見えないニュースが続く。本当に将来、自分の家に帰ることができるか。歩いてだって、たどり着けるところにあるのにいつ戻れるか分からない。その苦悩は、仲麻呂の望郷の念より深いかもしれない。