およそ現代アートには縁がないが、文化面の美術評に触発され、日本を代表するメディア・アーティスト三上晴子さんが制作した「欲望のコード」展(東京・初台)に足を運んだ▼暗い展示室に入ると、ざわざわと音がして、壁に整然と並ぶ九十個のセンサーと小型カメラが一斉に動き、天井から吊(つる)された六基のロボットアームが追い掛けてくる▼監視されている不気味さが消えない。撮られた映像は、インターネットで公開されている世界の監視カメラの映像とともにデータベース化され、昆虫の複眼のような巨大なスクリーンに映し出される▼本来、人間が設定した目的のためにプログラミングされた監視カメラとコンピューターのシステムが、意志=欲望を持って私たちを監視し、記録し始めたら…。抽象的な作品に込められた意図を、本紙で児島やよいさんが解説していた▼<乗る降りる買うことごとく記録され我より我をスイカ知るなり>吉竹純。少し前に東京歌壇に載った短歌だ。記憶ではなく、集積されたデータが行動を把握していることへの違和感の表明だろうか▼ネットで書籍を買うと、蓄積されたデータから読書傾向が分析されお勧めの本を紹介するメールが届く。自分が一つのデータとなって格付けされているようで気味が悪くなる。そんな日常に慣れてしまってはいないか。自問を繰り返している。