HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 47659 Content-Type: text/html ETag: "337e3-12f8-4b3fbff2cebb5" Expires: Tue, 13 Dec 2011 21:22:15 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Tue, 13 Dec 2011 21:22:15 GMT Connection: close 12月14日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


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12月14日付 編集手帳

 落語家の立川談春さんは中学生の頃、落語に親しむ学校の催しで東京・上野の寄席を訪れた。のちに師匠となる談志さんが高座に上がった◆談春さんの『赤めだか』(扶桑社)によれば、談志さんは四十七士の討ち入りを引いて落語論を語ったという。「でもね赤穂藩には家来が300人近くいたんだ。総数の中から47人しか敵討ちに行かなかった。残りの253人は逃げちゃったんだ」◆理性ではどうすることもできない心の働きを「(ごう)」という。「逃げた奴等(やつら)はどんなに悪く言われたか考えてごらん。落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ」。駄目な奴を認め、業を肯定するのが落語だよ、と◆「たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうから、それも気をつけな」。最後は、得意の毒舌で締めくくったらしい◆〈(あつ)(かん)や討入りおりた者同士〉(川崎展宏)。被災者の身の上を思えば、どんな苦労にも耐えられると理性では分かりつつ、身勝手や怠け癖の“業”に震災後も負けつづけて迎えた「義士討ち入りの日」である。熱燗と、心優しい談志節が腹にしみ渡る。

2011年12月14日01時46分  読売新聞)

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