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人の悲しみや泣き声を聞いて育つ木が沖縄にあると、那覇生まれの詩人山之口貘(ばく)が書いている。その、「世はさまざま」という詩の一節を引く▼〈木としての器量はよくないが詩人みたいな木なんだ/いつも墓場に立つてゐて/そこに来ては泣きくづれる/かなしい声や涙で育つといふ〉。貘さんが想像を膨らませた琉球の木は、性暴力に泣いた女性の涙も、おびただしく吸い上げてきたはずである▼1955年、沖縄を怒りで震わせた「由美子ちゃん事件」の犠牲者は6歳だった。米兵に暴行された遺体は、海岸で雨に打たれ、手を固く握りしめていたという。他にも、基地の島で繰り返された性犯罪は数え切れない▼多くの事件に日本の司法権は届かず、人々は二重の屈辱と怒りに耐えてきた。それを知らぬ沖縄防衛局長ではあるまい。なぜあんな言葉が出たのか。推測だが、内々ではよく使われる例えなのだろう。沖縄と国の関係を低劣に語る傲(おご)りは、沖縄はむろん、心ある本土の人への侮辱にもあたる▼明治の初め、日本は琉球を組み入れた。そして怒濤(どとう)のような皇民化政策を進めた。エリート官僚の暴言に無理押しの歴史を重ねる人もいよう。その果ての沖縄戦で、島は壊滅する▼〈まもなく戦禍の惨劇から立ち上り/傷だらけの肉体を引きずって/どうやら沖縄が生きのびたところは/不沈母艦沖縄だ〉。貘さんは別の詩で、基地だらけの島を不沈空母に例えて悲しんだ。戦後66年。押しつけておけば済む話では、もうない。