閉ざされた国の民主化への動きが正念場を迎えている。東南アジア諸国連合(ASEAN)が二〇一四年の議長国就任で合意したミャンマー。国際社会復帰へ、後戻りせぬ歩みを支えたい。
今月中旬のASEAN首脳会議で、ミャンマーは一四年の議長国就任を認められた。三月の民政移管後、軍政時代の有力指導者の影響力はなくなったという。政治犯の一部釈放など民主化への努力が認められたといえる。〇六年の予定だった議長国を辞退したミャンマーにとって独裁の汚名返上は大きな一歩だが、国際社会は民主化の動きが本物かどうか注視している。
カギは政治犯の全員釈放と政府と対立する少数民族組織との和解だ。十月の恩赦で釈放された政治犯は約二百人で、リーダー格を含む五百人以上がまだ獄につながれている。早く釈放すべきだ。
少数民族組織には、民主化進展で国際的非難が弱まれば自分たちの問題が置き去りにされるとの恐れがある。一九四七年にビルマ族代表のアウン・サン将軍と少数民族が連邦制国家として独立することで合意したパンロン協定は有名無実化している。政府は民族や宗教の違いを使った分断統治をやめ、ようやく始めた少数民族全体との和解交渉を加速してほしい。
クリントン米国務長官が三十日、国務長官として五十六年ぶりに訪問する。ミャンマー経済制裁の緩和と国際社会への受け入れに大きな弾みとなろう。だが、アジア太平洋へ軸足を移した米国の政策が、海上交通の要路にあり豊富な天然資源を持つミャンマーをめぐり、米中対立の火種にならぬよう見守る必要がある。
ASEANは一五年に人口六億人の「ASEAN共同体」創設を目指すが、参加国の経済格差や政治体制の違いが難問だ。内政不干渉がASEANの原則だが、平等で信頼できるパートナーとなるよう、ミャンマーの民主化を最も力強く後押ししてほしい。
民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チーさんが、近く実施の国会補欠選挙に出馬の意向だ。スー・チーさんが国政に参加し、国会の八割を軍関係者が占める政治体制の改革が進めば、国際社会は民主化が本物であると信じることができる。
日本政府は、政府開発援助(ODA)の本格的な再開に向けた協議をミャンマーで開いた。民主化の後押しに有効に活用できるような援助を考えていきたい。
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