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芥川龍之介が俳人の高浜虚子に俳句の評を乞うた手紙が見つかり、兵庫県芦屋市の虚子記念文学館で展示されている。天才肌の作家は句作にも熱心で、幼年から親しんだ。小学4年で詠んだという一句が、枯れ葉の舞う季節になると思い起こされる▼〈落葉(おちば)焚(た)いて葉守(はも)りの神を見し夜かな〉。栴檀(せんだん)は双葉より芳し、だろう。「葉守の神」とは柏(かしわ)の木に宿るといわれる樹木の守り神。木々の「紅葉」は秋の季語だが、「落葉」はもう冬の季語になる▼北国から雪の便りを聞きつつ、暖地は晩秋から冬の入り口へと移る。近所の公園を歩くと銀杏(いちょう)が豪壮な炎のようだ。小春の陽(ひ)を受けて満開の桜のように華やいでいる。花吹雪ならぬ黄金の雨を降らすときは遠くない。銀杏は、春の桜を思わせる潔さで散っていく▼青森生まれの作家、故三浦哲郎さんが郷里の寺にある銀杏のことを書いていた。「毎年十一月の、よく晴れた、霜が降りて冷え込みのきびしい或(あ)る朝に、わずか三十分ほどで一枚残らず落葉してしまう」と▼文学的誇張はあろうが、たしかに銀杏は、風の力も借りずに憑(つ)かれたように散りしきり、樹下を金色に変えていく。その姿に凋落(ちょうらく)の悲哀はない。枝から地面までの短い旅は、集団演舞さながらだ▼だが原発事故の今年、多くの落ち葉は不遇をかこつ。落ち葉焚きは自粛され、腐葉土作りは見送られ、子らに拾われることもない。薄幸な「病葉(わくらば)」を量産した人災への、葉守の神の怒りを聞くように、落葉の季節が過ぎていく。