HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 47618 Content-Type: text/html ETag: "f4a07-124f-4b2915f7f283f" Expires: Sat, 26 Nov 2011 00:22:11 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Sat, 26 Nov 2011 00:22:11 GMT Connection: close 11月26日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


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11月26日付 編集手帳

 何日か前、読者の女性から頂いたお便りを読んでいて、一瞬、ギクリとした。「その頃、私は雌犬の時を過ごしておりました」とある。雌犬…メス犬…牝犬…そうか、「雌伏(しふく)」のにんべんが抜け落ちたのだ、と気がついた◆パソコンでは、こういう誤記は起きない。心の前傾姿勢や、ペンの走る勢いまでを読み手に伝えてくれるところが、手書きの功徳だろう。もらったお菓子にオマケがついてきたような、ちょっと楽しい気分を味わった◆そろそろ手を付けようか――買い置いた年賀はがきが脳裏にちらつく“手紙の季節”である◆身の回りに被災者がいない人でも、今年は「おめでとう」と書く気持ちになれない人が多かろう。言葉の選び方ひとつにも神経を用い、いつもの年よりも時間のかかる作業かも知れない◆今年元日付の小欄に、中桐雅夫の詩『きのうはあすに』の一節を引いた。〈新年は、死んだ人をしのぶためにある/心の優しいものが先に死ぬのはなぜか/おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ…〉。いま読み返すと、年賀はがきの束を前にして、物思いの時間だけが過ぎていく。

2011年11月26日01時08分  読売新聞)

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