一九七一年の参院選に出馬して、五十人の定員中、五十番目に当選した。その時のセリフがふるっている。「寄席でも選挙でも真打ちは最後に入るんだ」。その言葉は今も一門で「名言」として語り継がれているという▼落語家の立川談志さんが亡くなった。国会議員になった落語家は後にも先にもこの人しかいない。真打ち昇進をめぐって師匠の柳家小さんさんと対立、落語「立川流」を創設、家元に。落語家という枠に収まりきらない破天荒な生き方だった▼若き日から天才と呼ばれた。人気番組『笑点』も談志さんの企画だ。居眠りしていた客に退場を求め、「落語を聴く権利を侵害された」と訴えられたことも、今となっては懐かしい▼テレビでも人気の立川志の輔さん、古典落語の名手談春さん、多彩な才能が際立つ志らくさん…。談志さんの個性をそれぞれが色濃く引き継ぐ弟子が育った▼弟子が成長して活躍することで師匠の談志さんも輝いた。体調不良で高座にも上がれない晩年だったが、その圧倒的な存在感は変わらなかった▼病院で本名を呼ばれ、「俺は談志だ」と怒ったというエピソードが有名だ。「人格も思考も、何もかも立川談志だった」(志らくさん)。「俺は、作品やってんじゃない。落語を使って、てめえを語ってんだ」。写真家の橘蓮二さんにそう語っていたという。革命児の死を惜しむ。