ユーロ危機は欧州統合を歴史的分水嶺(ぶんすいれい)に追いやっています。事態をここまで至らしめたものは何か。辛辣(しんらつ)な批判者の声こそ聞くべき時かもしれません。
ユーロが導入される際、ユーロをギリシャ神話のイカロスに喩(たと)え、その墜落を予見したドイツ経済学者を昨年の本欄で紹介したことがあります。
ウィルヘルム・ハンケル元フランクフルト大学教授。ハーバード大学でも教鞭(きょうべん)をとった欧州懐疑派の代表的論客です。ユーロ導入は国家主権を侵犯し、国民の財産権を侵害する、として違憲訴訟を起こしたことでも知られます。
◆米合衆国との違い
ユーロ導入前年の一九九八年、ハンケルさんはすでに本紙にその論拠を語っています。三点に要約される論旨は、今の問題点を突いています。
一つは既に繰り返し指摘されていますが、政治統合なき通貨統合は機能しない、という点です。
「通貨政策だけ超国家主権に委ね、それ以外の政策を従来の各国主権に委ねるという構造は、民主主義的な考えからいっても大変弱いものであり、矛盾を抱える」「矛盾を抱えたままでは遅かれ早かれ失速する」「それが共通の金融に加え予算、財政調整システムがある米国との違いなのです」
欧州統合の試みは、米国型の「欧州合衆国」をめざすものではありません。二〇〇〇年、統合推進派のフィッシャー独外相が打ち出した欧州連邦構想に対しても、英国を筆頭とする慎重派は常にその方向性を否定してきました。
代わりに合意されたのが、累積債務を対国内総生産(GDP)比60%に抑え、財政赤字をGDP比3%以内とするなどの財政規律を定めた財政安定協定でした。共通通貨の信用力を加盟各国の財政規律で担保した形です。
◆金融めぐる独仏の確執
当初は統合の要となる独仏でさえこの基準を守れず、ギリシャに至っては政権交代のたびに粉飾財政が表面化、信用を自ら深く傷つけたことは周知の事実です。
二つ目は、肝心の金融政策をめぐる二大国、独仏間の原則論的な立場の違いです。
「法制の違いを抱えた国同士の統合が機能するでしょうか。フランスやイタリア、スペインは金融を社会政策の一部として考えがちです。一方、ドイツは戦後のエアハルト経済相による社会市場経済政策で、金融の独立、安定化を重視してきています。こうした相反する伝統を持つ国々がうまくやっていけるでしょうか」
第一次大戦後のハイパーインフレの経験から物価安定を最重要課題とするドイツと、金融緩和や国債買い入れを容認するフランスなど他国との確執は今最大の課題として浮上しています。
欧州連合(EU)が、手をこまねいていたわけではありません。紆余(うよ)曲折の末批准されたリスボン条約で意思決定のスリム化を達成し、大統領、外相を設置し、民主政体的体裁は実現しました。欧州金融安定化基金(EFSF)拡充を軸とする現在のユーロ支援策も、遅れていた財政協調をなんとか挽回する試みといえます。
「ユーロ危機は、通貨統合だけでなく、財政統合も備えたものにする生みの苦しみかもしれません」。EU法の第一人者、庄司克宏慶応大学教授も指摘しています。この混迷の中でも、ギリシャではユーロ圏残留を求める世論が多数を占め、イタリアでは政治家を排した異例の実務家政権が誕生しました。いずれも遅きに失したとはいえ、支援の前提となる超緊縮財政を受け入れる姿勢を示しています。
二十世紀、世界が経験した大恐慌、ナショナリズムの猛威と二つの世界大戦の惨禍。欧州統合は、その反省からスタートした超国家統合モデルの歴史的実験です。その象徴たるユーロの頓挫は、欧州全体の信頼性の失墜につながりかねません。
◆イカロスは墜(お)ちるのか
「ユーロを守るためにはいかなることもする」。独仏首脳が繰り返す言葉はおそらく本音なのでしょう。しかし、市場の後手に回ってしまった現在、現支援策が仮に履行されたとしても、市場の承認を回復できるのか定かではない所まで事態は悪化しています。イカロスは飛翔(ひしょう)し続けるとしても、翼の形が今のままである保証はもはやありません。
八十二歳にしてなお意気軒高なハンケルさんの三つ目の予言は次のようなものでした。「どこかの加盟国に国家的危機が生じれば、各国通貨への逆戻りもあり得るでしょう」
加盟諸国で政権交代のドミノ現象が続くなか、予言を回避しうるタイムリミットは刻一刻近づいています。
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