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インドネシアで19日開かれる東アジア首脳会議に、米国とロシアが初めて参加する。発足6年目で、太平洋からインド洋までの大国が顔をそろえる。会議の重みは格段に増した。世界の[記事全文]
「裁判員制度は憲法に違反しない」。そんな判決が最高裁大法廷で言い渡された。国民の司法参加の話が本格化した90年代末からの「合憲か違憲か」の争いに決着がついた。[記事全文]
インドネシアで19日開かれる東アジア首脳会議に、米国とロシアが初めて参加する。発足6年目で、太平洋からインド洋までの大国が顔をそろえる。会議の重みは格段に増した。
世界の人口の約半分をカバーし、核保有国の多くが一堂に会する機会でもある。平和で繁栄する「アジアの世紀」に向け、相互協力とグローバルな規範づくりを語り合って欲しい。
焦点は、海洋紛争の防止のため、国際法の尊重という原則をどう確認できるかだ。中東の油田地帯からマラッカ海峡を通って太平洋に至るシーレーンは、世界経済の死活を握る。タンカーや貨物船がひしめく中、各国が軍事力を拡大していけば紛争の火だねになる。
中国がベトナム、フィリピンなどと領有権を争う南シナ海では、漁船の拿捕(だほ)など緊迫した状態が繰り返されている。米軍の調査船の活動が公海で中国艦船に妨害される事件も起きた。
偶発事故が紛争に発展しないような仕組みを一刻も早く確立しなければならない。透明なルールを確立し、東シナ海などにも適用できることが望ましい。
オバマ米大統領はオーストラリアでの演説で、安全保障政策では「アジア太平洋地域での米国のプレゼンス(存在感)と任務を最優先する」と宣言した。南シナ海やインド洋に近い同国北部に、海兵隊を恒常的に駐留させることも発表した。
イラク、アフガニスタン戦争に一区切りがつき、国防予算の大幅削減も迫られる中での決断である。海軍力を急ピッチで強化する中国を牽制(けんせい)する狙いがあることは言うまでもない。中国の参加が難しい環太平洋経済連携協定(TPP)の推進と並んで、「世界の成長センター」で米国主導の秩序を維持していく決意を示したものだろう。
中国では「封じ込め」と反発する声が上がる。だが、空母の保有やミサイル戦力の強化など中国の軍拡への懸念は東南アジア諸国も共有している。インドやロシアも新鋭艦の建造やハイテク兵器の導入を進めている。
こうした軍拡競争への懸念を取り除くため、会議は絶好の機会ではないか。
東南アジア諸国連合(ASEAN)は立場の違いを超えて東南アジア非核地帯条約をまとめた実績を持ち、同条約の尊重を核保有国に働きかけている。
東アジアを米中の覇権争いの場にせず、繁栄を分かち合えるような安定した地域協力の基礎を築いていく必要がある。
太平洋の荒波を静める見取り図を、会議は示して欲しい。
「裁判員制度は憲法に違反しない」。そんな判決が最高裁大法廷で言い渡された。
国民の司法参加の話が本格化した90年代末からの「合憲か違憲か」の争いに決着がついた。
裁判官でない一般の人に裁かれるのは被告の権利を侵す。参加の義務づけは憲法が禁ずる苦役にあたる……。違憲の主張はさまざまだが、そうした指摘を踏まえ、憲法に適合するよう工夫して制度はつくられた。
じつは憲法と司法参加の関係は、ここにきて急に語られるようになったわけではない。
憲法を制定する段階から議論があり、将来、参加に道を開くときの妨げにならぬようにと条文が練られた。先人の見識と知恵にあらためて敬服する。
国民が裁判に加わる意味あいを、いま一度考えてみたい。
裁判員の負担は軽くない。プロに任せておけばいいではないか、との声は根強くある。
だが国民から縁遠く、専門の世界に閉じこもる裁判所が、私たちにとって本当に頼りになる存在であり得るだろうか。
司法は、世の多数にあらがっても人権や正義を守る使命を担う。そのために、国会が定めた法律をおかしいといったり、行政の決定を取り消したりする権限を与えられている。しかし国民との結びつきは国会などに比べて弱く、責任をまっとうしていけるのか心配がぬぐえない。
そんな司法の世界に主権者である国民が入っていくことで、よって立つ基盤を強化し、本来の役割をしっかり果たさせる。司法参加の意義はここにある。
裁判員と裁判官がともに悩み考える営みを通じて、裁判の質が高まり、司法の機能が向上することは、結果として人々に豊かな果実をもたらす。
みんなで一定の負担を引き受けながら、より良い社会をつくる。それが民主主義であり、今回の判決の背景にも同じ思想が流れているように思う。
制度が始まって2年半。「罪を犯した人の社会復帰や治安について考える機会になった」と参加の経験を前向きにとらえる裁判員が多い。国民がそばにいるという緊張感は裁判官、検察官、弁護士をきたえ、長すぎる裁判の見直しをはじめ、これまで進んでこなかった改革を後押しする力にもなった。
もちろん課題はまだ多いし、思わぬ障害が立ちはだかるかもしれない。だがそれを乗り越えることで、制度はより確かなものになってゆく。
この国の主人公は一人一人の国民である。判決は、その思いを新たにする契機になった。