焼けた洗面器やふとんを抱えて、左右に小さな子どもの手を取り、力なくうごめく人たち…。東京大空襲の三日後、上野駅の前の広場は被災者であふれていた。怒声を上げる役人の命じるまま、黙々と動く民衆の姿を作家の高見順は『敗戦日記』に記している▼<私の眼にいつか涙がわいていた。いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。私はこうした人々とともに生き、ともに死にたいと思った><何の頼るべき権力も、そうして財力も持たない。黙々と我慢している。そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もひとりだった>▼東日本大震災を機に、日本の国籍を取り、永住を決めた日本文学研究者のドナルド・キーンさん(89)の半生を描いたドキュメンタリー番組を見た。深く印象に残ったのは、高見順のこの言葉が日本人として生きるキーンさんの決意を後押ししたということだった▼震災から八カ月が過ぎた。季節はめぐり、また厳しい寒さが被災地を覆う。がれきの撤去は進んでいるが、原発事故が復興に暗い影を落とし続けている▼敗戦後と同じように、頼るべき権力も、財力もなく、黙々と我慢する人たちがいる。その存在を忘れる社会の一員にはなりたくない▼「感謝は要りません。(永住は)やりたいことだから、むしろ私が感謝したい」とキーンさんは語っていた。日本への思いの深さを学びたい。