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肺がん治療薬イレッサをめぐる裁判で、東京高裁は患者側の賠償請求をすべて退けた。一審の東京地裁は、薬の副作用で死亡するおそれがあるとわかっていたのに、添付文書にその事実を[記事全文]
年をとり、家族はなく、貧しい……。私たちの社会で、そんな人たちが増えている。生活保護を受けている人は、最新の7月の調査で過去最多の約205万人となった。このうち65歳以[記事全文]
肺がん治療薬イレッサをめぐる裁判で、東京高裁は患者側の賠償請求をすべて退けた。
一審の東京地裁は、薬の副作用で死亡するおそれがあるとわかっていたのに、添付文書にその事実を目立つように表示しなかったとして、製薬企業と国の双方の責任を認めていた。
これに対し高裁は、イレッサの承認時に、薬と死亡との因果関係は明らかでなかったと判断した。そのうえで、文書には重い肺炎になる可能性が書かれており、専門医が読めば危険を認識できたとして、記載に問題はなかったと結論づけた。
さまざまな症状を引き起こしながら進行し、死因の特定が難しい肺がんの特性を踏まえた判断といえる。だが、釈然としない点もいくつかある。
医薬品については、科学的証明が不十分でも、最悪の事態を想定して安全対策にあたる「予防原則」の考えが定着してきている。そのことと、賠償責任の有無は区別して考えるべきだというのが判決の立場だ。
結果として、安全への配慮がおろそかになる心配はないだろうか。因果関係や法的責任を厳格にとらえた今回の判決がひとり歩きして、企業や行政がやすきに流れてはならない。
繰り返された薬害の歴史を思うと、開発や販売、審査にあたる人はもちろん、社会全体で考えを新たにする必要がある。
「専門医は認識できた」との判断も論議を呼ぶだろう。裁判で争った患者は専門医にかかっていたが、イレッサは「効果が高く、副作用が少ない」と評判になり、深い知識のない医師も処方していた。十分な経験をもつ医師に使用を限るとの記載が添付文書に加わったのは、被害が広がった後だった。
一審判決は、「一般の医師」に文書がどう読まれたかを検討し、危険性は伝わらなかったと判断している。添付文書は、薬の情報を医療現場に届ける最も重要な手段だ。患者側の上告を受けて、最高裁がどんな判断を示すか注目したい。
新薬の早い承認を待つ患者の期待に応えつつ、安全性の確保に万全を期す。被害の償いや責任の解明に努めるものの、それによって医師が萎縮したり、国民の負担が過大になったりしないようにする――。
相反する要請を両立させることの難しさを、イレッサ問題は投げかけている。司法判断の揺れはその表れともいえよう。
生命・健康の尊重という基本を常に忘れずに、多くの人が納得できるバランスを求めて、歩みを続けていくよりない。
年をとり、家族はなく、貧しい……。私たちの社会で、そんな人たちが増えている。
生活保護を受けている人は、最新の7月の調査で過去最多の約205万人となった。このうち65歳以上の単身高齢者は、3割前後とみられる。09年度は約50万人だった。この時点で10年前の1.8倍である。
4人が死亡する火災が起きた東京都新宿区のアパートは、こうした人たちが、都会の片隅でひっそり暮らす様子を浮きあがらせた。23人の住人のうち19人が生活保護を受けており、ほとんどが高齢者だった。
生活保護を受けている人に許される月額家賃は5万円余り。都会に物件は少ない。必然的に古くて狭い木造のアパートに集中する。
ひとり暮らしができるうちはいい。だが、年をとるにつれ、介護が必要になってくる。
高度成長期に地方から人が流入した都市部では今後、高齢・貧困・単身・要介護の人が増える。一方で、家族や地域社会のきずなは弱体化している。
こうした社会の変化に、生活保護や介護保険といった既存の公的福祉が追いつけるのか。
09年3月、火災で10人が犠牲になった群馬県の高齢者向け施設「静養ホームたまゆら」には、都内から要介護の生活保護受給者が送り込まれていた。
こんな悲しいことを繰り返したくない。身よりのない高齢者でも、いま住んでいる地域で暮らせるように工夫したい。
東京都内で活動するNPO法人・ふるさとの会は、高齢者に限らず、幅広い年齢層の生活困窮者を1100人以上、支援している。既存のアパートを改修したりして「支援付き住宅」をつくり、要介護の高齢者を受け入れる。介護保険など公的制度はしっかり活用するが、それだけでは生活できない。
そこで、同会が支援する若年層に、「さびしいときの相談相手になる」「掃除やゴミ出しをする」といった活動をしてもらい、賃金も払う。
同じ地域のなかで、高齢者のくらしを支え、若年者雇用の受け皿もつくる。こうした活動をさらに広げられないものか。
支援対象者の生活保護費から活動費を捻出する形式だけみれば、「貧困ビジネス」と区別がつきにくい。組織をオープンにし、外部の目が入るようにする姿勢は欠かせない。
近隣に暮らす私たちにも、見守りや声かけなど、できることはいくらでもある。誰かにお任せして乗り切れるほど、日本の高齢化の波は小さくない。