消費税、環太平洋連携協定(TPP)で決断を示した野田佳彦首相ですが、ここからが指導力の正念場。手本は故大平正芳元首相というのですが。
元NHK会長の故島桂次氏が大平追悼集(「大平正芳 政治的遺産」)に、こんな秘話を書き残しています。ある夜、大平首相の志げ子夫人から「主人が長いこと応接間で頭をかかえ込んでうずくまっている」との電話が島氏のところにかかってきて、大平邸に駆けつけると、首相は同じ格好をしたまま「一般消費税をやるか否かで、まだふんぎりがつかない」と重い口を開いたといいます。
◆「棒樫財政論」を信奉
「なんですか! 政治家がその政策が必要と思ったら内閣を投げ出しても信念に従ってやるべきじゃないですか」。島氏が怒鳴っても大平首相は以後、目を閉じて無言のままだったそうです。
オトウチャン。家族や政治家、記者たちから、その風貌で親しみをもって呼ばれた大平氏でしたが、増発した赤字国債への自責の念から政権担当中に財政再建への道筋をつけたいとの決意と、解散をしても増税選挙では勝てまい、との迷いが交錯して苦悩が深まっていったに違いありません。
「棒樫財政論」が大平氏の考え方でした。「樫の木の養分が足りないときは、枝や葉を切り落として棒樫にしないと木は枯れる。ひとまず棒樫にして木の命を救うことが大木に育てる要件だ」というのです。同氏の郷里、香川県の一人の村長がオトウチャンのためにと献策してきたのでした。ひらたくいえば「増税」の前に「行政改革」が先決とくぎを刺したもので大平氏は「この哲理は私の政治生活の導き星」と感激し、一九七九年十月の衆院選に当たっても「肉を削って骨に至る行革」を公約しました。
だが現実政治は、思ったとおりには進みませんでした。
◆大平氏も読み違えた
与党内の反発から選挙直前には一般消費税構想を凍結した大平首相でしたが、選挙結果は自民党の単独過半数割れ。同党から首相指名選挙に大平、福田赳夫と現、前両首相が名乗りを上げる前代未聞の政局に発展しました。「四十日抗争」です。「日本の有権者は政治意識が高いから増税論も理解してくれるはず」との大平氏の期待は裏目に出たのです。実は同氏も空気を読み違えていました。選挙直前に日本鉄道建設公団の組織ぐるみの不正経理が発覚したのを皮切りに「公費天国」への国民の怒りが爆発していたのです。
野田首相は雑誌への寄稿で大平氏の「やらねばならぬことを国民にきちんと説明し、理解してもらおうとした気概」に学びたいと言明しています。同時に別の場では「二つのカンジョウが大事」と述べています。そろばん勘定と国民感情です。
「消費増税法案が成立後に信を問う」「TPP交渉に参加する」。相次いで態度を表明した野田首相は、どちらのカンジョウを重視しているのでしょうか。
一般に「増税選挙で勝てたためしはない」といわれますが、例外もあります。九六年の衆院選では橋本龍太郎首相が消費税率5%への公約を掲げたのに対して、小沢一郎氏率いる新進党は「消費税の3%据え置き、所得税・住民税の半減、法人税の二割削減など十八兆円減税」を打ち出しました。結果は自民党が単独過半数には届かなかったものの二百三十九議席と復調し、新進党は百五十六議席と選挙前より四議席減の敗北を喫しました。有権者は増税を積極的に是認したわけではないでしょうが、新進党の大幅減税構想を「調子がよすぎる」と受け止めたのではないでしょうか。
しかし二年後の参院選では図に乗った橋本首相が医療費値上げ、特別減税の中止などで景気の中折れを招き、敗北−首相退陣へとつながります。「庶民の一票一揆」といわれました。
有権者は見ていないようで実によく見ているのです。約一千兆円の国の借金を抱えて、いずれは消費税を上げざるを得ないだろう。だが、まずは政府・政治家が血を出し骨を削っている姿を見せてくれ。グローバル化した世界でTPP参加を一切拒否というわけにはいかないだろうが、政府がもっと判断材料を国民に分かるように提供すべきではないか。
◆「勘定高い安全運転」
支持率が低下傾向の野田首相には三つ目のカンジョウが垣間見えて仕方ありません。財務省、経団連などをバックにした「勘定高い安全運転」です。いま大平元首相に学ぶとすれば、明日の日本、明日の暮らしに対する野田政治の方向性を明示し、どうすれば国民の理解を得られるのか、オトウチャンのように苦悩に苦悩を重ねて行動する姿勢でしょう。
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