今年の世界の大きな動きの一つはアラブの春に違いありません。だが、これからどうなるのか。イスラム世界の未来へ歴史の歯車はどう回るのでしょう。
ノーベル平和賞では、アラブの春も有力候補になっていました。しかし、では、一体だれに贈るべきなのかとなると簡単でもなさそうなのです。
チュニジアの政権転覆にも驚きましたが、世界が本当に驚嘆したのはエジプトの民衆革命でした。人口約八千万。アラブの政治や商業の中心で医師や教員、映画などの輸出国。文字通りアラブの盟主です。長く親米欧政権だったこともあり、衝撃はアラブにとどまりませんでした。
◆イスラム組織の働き
革命の主役は、民主化を目指すネット組織の若者たち(四月六日運動など)もいますが、実態として大きく組織的に動いたのがイスラム原理主義組織ムスリム同胞団でした。ムスリムとはイスラム教徒という意味です。
もし平和賞が授与されるとしても、西欧世界なら若者組織がまず有力でしょうが、イスラム世界では同胞団の貢献がより重視されたかもしれません。
アラブの春を実際的に見てゆくと、若者の動きはもちろん重要なのですが、独裁政権と多年闘ってきたイスラム主義運動に行き当たります。シリアで親子四十年にわたるアサド政権に長く抵抗しているのはシリアのムスリム同胞団ですし、チュニジアでもイスラム組織です。
同胞団の創始者はエジプトの穀倉ナイルデルタの農村出身、ハサン・アルバンナー(一九〇六〜四九年)でした。イスラム法学に詳しい父をもちカイロの教員養成学校に進む。そこで彼はイスラムによる社会改革を志したのでした。
当時、欧州列強の繁栄に対し、中東は低迷していました。オリエント、東洋の没落時代です。
◆マフフーズ氏の抗議
極東の日本が日露戦争でロシアを打ち負かしたことは落日の東洋の大勝利だったわけです。そういう時代を経て同胞団は生まれた。
日本にいるとなかなか分かりにくいのですが、中東では中世イスラムの光輝の時代を思い起こすような歴史感覚が感じられることがあります。土地の長老と話せば、欧州に今は追い越されているが、そのうち追い越すさ、というぐらいの心持ちが会話にしみ出てくるのです。
同胞団の主張は、正義と公正を旨とするイスラムの教えの徹底です。ハサン・アルバンナーは大都会カイロに出てきて、その世俗的虚飾をはぎとらねばならぬと思ったことでしょう。
文明の衝突と軽々には言いたくありません。しかし地中海をはさんだ東洋と西洋の争いが宿命的に繰り返されてきたのは事実です。過去、その争いを乗り越えようとしてかなわず、しかし、今アラブの春という好機を得たのかもしれません。
アラビア語文化圏で初のノーベル文学賞受賞者となったナギーブ・マフフーズ氏を訪ねたことがあります。カイロの庶民の日常を丹念に描いた作家です。
一九九四年秋、彼はカイロの病院に横たわっていました。イスラム過激派の青年にナイフで刺され重傷を負っていたのです。毎週金曜の夕、ナイルに浮かぶ船の喫茶室で、受講には紅茶一杯を注文すればいい、という文学講座を開いていたのですが、船に向かう途中襲われたのでした。
彼は、ベッドから少し身を起こし、耳のとおい分、病室に響き渡るような大声で言いました。
犯人の無理解を憎んだのでした。宗教がテロに利用されたことを激しく嘆いたのでした。
アラブの春の行方は予測困難には違いないのですが、エジプトなどではイスラム政党の政治的優勢は動かないところです。トルコは政教分離の国ですが、選挙という手続きを経て、今ではイスラム政党が宗教的伝統も民主主義も唱えて政治参加をしています。
◆原理主義と世俗派と
トルコは成功モデルの一つとしてアラブ各国の注目を集めています。欧州とうまく付き合い、国内では原理主義派と世俗派が選挙で競い合う。そういう未来が望ましいのですが、非イスラム世界に願いたいのは、イスラムに対する誤解や偏見を持たないことです。
テロなどの暴力はむろん許されないが、誤解や偏見が争いには利用されやすいのです。犠牲者はどちらの側も普通の人々です。
アラブの春のこれからは、私たちのイスラムへの理解にかかっているのかもしれないのです。
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