原稿をワープロで打つようになってから、てきめんに漢字を思い出せなくなった。原稿用紙に手書きだった時代、書き損じるたびに何枚も紙を破り捨てて書き直し、ごみ箱の中が原稿用紙であふれていたことが思い浮かぶ▼交通事故や火事、事件、裁判、選挙…。それぞれ定型の書き方があった。創造性もなく、退屈だと思ったが、何度も繰り返し書くことで文章の「型」が身についたような気がしている▼翻訳家で、作家の故・米原万里さんがエッセーで「踊り」を例に挙げ<不自由な方が自由になれる>と書いていたことを思い出す(『真昼の星空』)▼<不自由な思いをして身につけた踊りほど、自己表現も自在だし、踊っている最中の解放感も大きく、従って満足度も高い>。「型」を身につける過程で、未知のしぐさや使わなかった筋肉を使うことで、自由の利く範囲が広がるのだという▼「何の欠点もない敷地に、好きなように家を建てて欲しい、と言われるのが一番辛(つら)い」と米原さんの知人の建築家も言ったそうだ。制限のある方が仕事が進み、面白いという▼この人生も順風満帆だから幸福なのだろうか。逆境を乗り越えてこそ、得られる充実感もある。不自由な方が自由になれるという逆説は、自由なはずなのに他人の目ばかり気にして、がんじがらめになっている現代人へのアンチテーゼのように映る。