芸に自信がなければ、できることではない。夏の盛りの落語会で、柳家さん喬師匠が「福禄寿」という真冬の人情噺(ばなし)を演じたのを聴いた。いつしか、語り手の姿は消え去り、雪がしんしんと降る光景が自然に浮かんだ▼「落語は演者が消えなきゃあかん」と語ったのは、上方落語の人間国宝桂米朝師匠である。それを可能にしたのは、聴き手の想像力を刺激する円熟した表現力だった▼フランス・カンヌで開かれたG20首脳会合で、野田佳彦首相が表明した「国際公約」にも、想像力をかき立てられた。消費税率を10%に引き上げるという関連法案を来年の通常国会に提出するとの宣言である▼国内向けには低姿勢の「安全運転」に徹し、外遊先で高々と国際公約として打ち上げる。知恵を授けたのは誰かと考えると、首相という演者の背後にいる財務官僚の姿が思い浮かんだ。まず、海外で既成事実を積み上げるという周到な作戦なのだろう▼さらに不可解なのは、法案成立後に消費増税の是非をめぐって国民に信を問いたいという考えだ。野党は「順序が逆」と反発するが、民主党は消費税を上げなくても財源はあると豪語したのだから、法案を出す前に衆院を解散するのが筋だ▼海外で首相が前のめりになるほど、演出者の姿が鮮明になるような気がしてならない。「演者」が消えてほめられるのは話芸ぐらいなのに。