英語に「忘れ(ザ・フォ)られた人(ガトゥン・マン)」という言葉がある。米大統領だったF・ルーズベルトが選挙で、政府の援助を受けられない人々を指して使って、大衆化した▼だが、元は米社会学者W・サムナーの造語で「きちんとして、よく働く普通の市民」を表現した言葉だという。善良な一般市民、と言い換えてもよいだろう▼ところで、しばらく前になるが、自民党の総合エネルギー政策特命委員会で、細田博之元官房長官が脱原発か推進かなど、あわてて議論する必要なしと主張して、理由をこう述べたという。「世論が中庸でいかざるを得ないと認識するまで、一、二年はかかる」(毎日)▼元通産官僚で原発推進派。世間は、一、二年もすれば原発も必要だと言いだすさ。脱原発の世論なんか、やがては沈静化する。そんな見立てである。いうなれば、一般市民を「忘れられた人」ならぬ、「忘れ(ザ・フォ)っぽい人(ゲットフル・マン)」とみなしているわけだ▼見くびられたものだが、口惜しいことに、私たちにそういう面があるのは否めない。それをまた、「脱原発だと電気代はこんなに上がる」などのメッセージが後押しする。さあ、だから早く原発の怖さなんか忘れてしまえ、と▼<忘れねばこそ思い出さず候>とは、吉原の高尾太夫が愛顧の殿様に送った文の中の名文句。だが、それではいけない。忘れないためにこそ、あの恐怖を常に思い出していたい。