HTTP/1.1 200 OK Date: Wed, 26 Oct 2011 22:22:09 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:元寇船発見 歴史をもっと楽しもう:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

元寇船発見 歴史をもっと楽しもう

 歴史、とくに中世史研究者やファンには胸の躍る発見だ。長崎県・鷹島沖で、元寇(げんこう)の沈没船が見つかった。研究分野や発見手法の広がりを土台に、より正確な知識を得て、過去への関心を高めたい。

 モンゴル族が中国に建てた征服王朝・元が日本に通交を求めたのを、執権北条時宗の主導する鎌倉幕府が強硬に拒み、元軍が九州北部を侵したのが元寇である。「蒙古襲来」は一二七四(文永十一)年と一二八一(弘安四)年の二度にわたる。発見された沈没船は、弘安の役と呼ぶ二回目の元寇船とみられる。

 この時、元軍は二手に分かれ、五月初め朝鮮半島・釜山近くの合浦を発した東路軍と、六月半ば中国・寧波付近を出た江南軍が七月初め長崎県・平戸島付近で合流し、鷹島へ移動、同島を占領した。九州本島に上陸直前の七月三十日から閏(うるう)七月一日にかけ、激しい暴風雨に襲われた。

 元軍は十四万〜十五万人、船四万四千隻という大部隊だったが、船同士が衝突したり、ほぼ壊滅、帰れたのは五分の一程度とされる。これらは同時代の史料で知りうることだが、今回船体が確認された場所とぴったり一致する。

 鷹島付近の海底からは、これまでも船の部材、乗船中に使った生活用具、武器などが見つかっている。しかし、船首から船尾までつなぐ竜骨(キール)など、船の構造を解明できる遺物がみつかったことは大きな意義がある。

 もともと遊牧民であるモンゴル族は、さしたる造船技術は持たなかった。元寇に使われた船も、元に屈服した高麗、南宋の技術を利用して建造したり、建造済みの船を徴用した可能性が大きい。とすれば、日本への蒙古襲来を超えた中国大陸の内部、朝鮮を含む東アジア全体の和戦両面での交流をよりきめ細かく明らかにできるかもしれない。

 それにしても、海底の遺物がいままで文献だけでははっきりしない過去の歴史をより明確にできるとは、あらためて驚かされる。ヨーロッパでは十九世紀後半から、「水中考古学」と呼ばれる海底、湖底の遺跡、遺物を対象にした研究分野が開拓されてきた。

 日本でも太平洋戦争後、この分野での研究が次第に進展しつつある。「歴史ブーム」がいわれて久しい。新しい分野の調査・研究はファンに新たな楽しみを生むが、一方で水面といえども無秩序な開発で貴重な遺跡を破壊する愚を避けるのはいうまでもない。

 

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