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小学生のころ、こんな俳句を作ったそうだ。〈コオロギがコロコロと鳴く秋の夜〉。大歌人だった父は面白半分にそれを見たが何も言わなかった、とご本人は回想していた▼亡くなった作家の北杜夫(きた・もりお)さんは本名を斎藤宗吉(そうきち)という。斎藤茂吉(もきち)の息子が下手な小説なぞを書くのは恥ずかしい、との思いでペンネームを使い出した。松本から仙台と寒い地で学んだから北。トーマス・マンの小説「トニオ・クレーゲル」に心酔して杜二夫(とにお)、それが杜夫になったのはよく知られている▼父親と同様、医学生ながら文学を志した青年は、その父の存在に畏怖(いふ)と反発を抱いたそうだ。自分が茂吉の子であることを隠し、茂吉のことを第三者として話す習性を身につけたと、若い時代の葛藤を明かしている▼作家として立つと、詩情ゆたかな純文学と、笑い満載の「どくとるマンボウもの」という2本の筆を巧みに遣(つか)った。故遠藤周作さんの「狐狸庵(こりあん)もの」に先がけて、高度成長期のベストセラーに名を連ねる▼日本の文学はユーモアに乏しい。とかくシリアスに傾き、笑うようなものは格落ちとみる風潮に、マンボウシリーズ初作の「航海記」は気持ちよく風穴を開けた▼かつて雑誌に「私の作品など茂吉の一首にも及ばない」と語っていた。2年前にお会いしたときに問うと、やはり頷(うなず)いておられた。〈父より大馬鹿者と来書ありさもあらばあれ常のごとくに布団にもぐる〉は若き北さんの一首。天上で、大いなる父君と再会を果たしているころか。