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2011年10月23日(日)付

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農業再生―もっと企業をいかそう

環太平洋経済連携協定(TPP)への参加問題をにらみながら、農林水産業をどう立て直し、競争力を高めていくか。政府が「再生のための基本方針・行動計画」をまとめた。高関税に守[記事全文]

和平20年―カンボジアで学んで

プノンペンの王宮の背後に日が沈むころ、トンレサップ川の岸辺に並ぶカフェの前を外国人女性たちがそぞろ歩く。かつてのカンボジアでは想像できなかった平和な光景だ。[記事全文]

農業再生―もっと企業をいかそう

 環太平洋経済連携協定(TPP)への参加問題をにらみながら、農林水産業をどう立て直し、競争力を高めていくか。

 政府が「再生のための基本方針・行動計画」をまとめた。高関税に守られたコメ農業を念頭に置きつつ、今後5年間の取り組みが記されている。

 ただ、具体策に乏しい。栽培から加工、販売まで手がける「6次産業化」を後押しする官民共同ファンドの設立を打ち出した程度で、長年の課題集といった趣だ。

 真っ先にあげられたのは「ヒト」と「土地」の問題である。

 仕事として主に農業をしている人は平均年齢が66.1歳に達し、70歳代後半〜80歳代の昭和1ケタ生まれが4分の1強を占める。このままではあと数年で農家が大幅に減ってしまう。

 農家の耕地面積は平均で2.2ヘクタール。欧州連合(EU)の2割弱、米国の1%程度だ。一方で、耕作放棄地は39万ヘクタール強と、埼玉県の面積に匹敵する。

 若い世代を呼び込みながら規模を拡大するには、企業の力をいかすことが有力な解になる。

 個人で農地や資金を確保するのは容易ではない。基本方針には、就農者への支援の充実に加え、法人に雇われる形での就農促進が盛り込まれた。

 規模拡大では、「平地で20〜30ヘクタール、中山間地域で10〜20ヘクタール」と、今の10倍程度に広げることを掲げた。集落単位での経営を前提とした目標で、その担い手の一つが法人だ。

 しかし、どうやって法人経営を広げるのか、具体策がない。

 農業生産法人の設立や一般企業の農業参入は、09年の改正農地法で規制が緩和された。

 生産法人では、小売りや食品加工など農業に関連する企業を対象に出資制限が緩められたが、それでも50%未満。生産法人の役員の過半は常に農業にかかわらなければならない。一般の企業には農地の所有が認められておらず、一定の条件を満たしながら賃借するしかない。

 財政難の中、農業予算には限度がある。一般の企業が農業にかかわる際の制約を減らし、民間資本をもっと引き込みたい。農業関係者は「企業はもうからないとすぐに撤退する」と反対するが、農業で収益があがる仕組みを整えるのが第一だ。心配なら、農業経営を一定期間続けるよう義務づければよい。

 大規模化を進めるには、バラマキ色が強い戸別所得補償制度を見直すことも欠かせない。

 農業再生への取り組みは時間との戦いである。思い切った改革を急がねばならない。

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和平20年―カンボジアで学んで

 プノンペンの王宮の背後に日が沈むころ、トンレサップ川の岸辺に並ぶカフェの前を外国人女性たちがそぞろ歩く。

 かつてのカンボジアでは想像できなかった平和な光景だ。

 パリ和平協定が結ばれ、長い内戦が終わったのは1991年10月23日。20年がたった。

 その間に、4度の総選挙を大きな混乱なくできた。大量虐殺の元凶だったポル・ポト派は98年に帰順し、治安は安定した。外国からの投資も入り、年平均8%の経済成長をしている。

 新政府樹立以来、2人首相制の時期をふくめ、フン・セン氏は18年間首相を務めている。このところ独裁傾向を強めているという批判がある。法整備の混乱や人権侵害、汚職、貧富の格差の拡大といった途上国に共通する悩みも多い。

 しかし、ともかくも平和が成し遂げられ、維持されていることを喜びたい。

 カンボジアは日本にとって特別の国である。

 戦後、経済力をつけ国際社会に復帰した日本が、初めて第三国の紛争解決にかかわったのがこの国である。

 和平を話し合う国際会議で、難民帰還や復興をあつかう委員会のとりまとめ役を務め、その後も援助を主導した。東京で紛争4派の会合の場もつくった。

 国連の平和維持活動に初めて参加したのもカンボジアでだった。激しい国内議論のすえに自衛隊を送り、文民警察や停戦監視員、選挙監視ボランティアら多くの日本人が加わった。

 手探りの仕事だった。警察官と選挙監視員が亡くなった。そうして得た貴重な経験である。

 草の根協力もカンボジアで育った。内戦中に多くの日本のNGOがタイ国境の難民キャンプで働き、和平後も医療、教育、農業など様々な分野で支援を続けている。日本の援助でできた学校は680校にのぼる。

 目標の見えなかった若者たちがカンボジアの学校建設に汗を流す日本映画がある。カンボジアは若者にとって、いまも気づきの場である。助けつつ、逆に私たちがカンボジアで学んだことがいかに多いか。

 経済分野では中国や韓国が目立つが、日本企業もようやく目を向けてきた。国民の多くはまだ貧しい農民で、20歳未満が4割以上を占める若い国だ。今後も支援を続けていきたい。

 カンボジアでの経験を手に、国際組織や援助の場で活躍している人は数多い。だが今の政府がそれを平和への貢献や、途上国支援に十分生かしているとは言えない。残念なことである。

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