HTTP/1.1 200 OK Date: Mon, 10 Oct 2011 22:21:44 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:この秋、正岡子規が亡くなるまで過ごした東京・根岸の子規庵(…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 この秋、正岡子規が亡くなるまで過ごした東京・根岸の子規庵(あん)の庭に、見事な糸瓜(へちま)の実がなっていた。死の影を感じながら、どんな気持ちで糸瓜を眺めていたのだろうか。畳に座って想像してみた▼激痛に泣き叫び、母と妹に当たり散らしながら、句や歌を詠んだ。来客と論談にふけり、栄養のあるご馳走(ちそう)を食べた。「病気の境涯に処しては、病気を楽しむという事にならなければ生きて居ても何の面白味もない」(『病床六尺』)という境地だった▼長い闘病の末の早世だったが、あまり暗い影を感じない。俳句や短歌の改革をやり遂げ、三十四歳の生を思う存分に駆け抜けた残映が見えるからだろうか▼時代も国も業績もまるで違うが、この人の死もどこか似た印象を受ける。五十六歳で亡くなったアップルの前最高経営責任者スティーブ・ジョブズ氏だ▼コンピューターを「家電」にして、暮らしを劇的に変えた「革命家」は膵臓(すいぞう)がんの手術を受けた後も、iPhoneなど美しく使い勝手のいい商品を生み、生きた証しを残した▼「河の氾濫が土を掘って田畑を耕すように、病気はすべて人の心を掘って耕してくれる。病気を正しく理解してこれに堪える人は、より深く、より強く、より大きくなる」(スイスの哲学者ヒルティ)。病を得たからこそ、一層豊かな着想が浮かんだのではないか。氏に聞いてみたかった。

 

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