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金融資本主義の総本山であるニューヨーク・ウォール街でのデモが勢いを増している。「金持ちは1%/われわれは99%」「富める者に税金を/貧しい者に食べものを」――失業者、銀[記事全文]
干支(えと)で辛亥(かのとい)の年にあたる100年前の10月10日、中国の長江中流域、武昌で清朝に対する蜂起が勃発した。これが引き金になって、アジアで初の共和国である中華民国が誕生し、清朝は[記事全文]
金融資本主義の総本山であるニューヨーク・ウォール街でのデモが勢いを増している。
「金持ちは1%/われわれは99%」「富める者に税金を/貧しい者に食べものを」――失業者、銀行の貸し渋りで経営難の中小事業者、学資のローンが返せない学生など、リーマン・ショック後の不況で生活が暗転したままの人々が声をあげた。首都ワシントンにも波及し、主要労組も参加に踏み切った。
バブル崩壊後の過重な債務の圧力で経済全体が低成長を強いられ、国民の間で格差が広がっている。日本や欧州にも共通する構図だ。
リーマン・ショック後に登場したオバマ大統領は就任するやすぐに大型の景気対策に踏み切ったが、昨年の中間選挙に敗れ、富裕層への増税で貧困層を支える道は阻まれた。
金融危機を避けるためウォール街の大銀行には巨額の資本が注入された。しかし、各銀行は政府の管理を嫌って貸し渋りなどで利益を確保し、早々に公的資金を返済した。再び巨額ボーナスを懐にする幹部が相次ぐ。
景気浮揚を狙った米連邦準備制度理事会による金融の量的緩和政策は、株価を一時的に浮揚させてウォール街から歓迎されたものの、結局はガソリンなどの値上がりを招き、米国経済の最大の病根である住宅市場には改善効果が見られない。
失業率は9%を超え、貧困世帯の割合も上がる一方。弱い立場の人々は放置され、相対的に余裕のある保守中間層を基盤とした増税反対の「茶会」運動がワシントンの政治を振り回しているのとは対照的だ。
ただ、優勝劣敗を旨とする茶会の極端な主張には疑問も広がる。それは、大富豪のウォーレン・バフェット氏が「金持ちを甘やかすのはやめよう」と富裕層への増税を求めたことにも表れている。ウォール街のデモも、米国社会が持つバランスの復元力を具現化しているとみることができよう。
デモはいま、政治に「99%の人々の肉声を聞いてほしい」と切望している段階だろう。これが失望に変わる前に、政治がどうこたえていくのか。
オバマ大統領はデモを「不満の表れ」と評したが、当面の雇用対策と中長期の財政健全化を両にらみしている自らの政策にこの「不満」をすくい上げ、求心力の再生につなげる好機を見るべきではないか。
欧州の債務危機で世界経済が動揺する折、米国までぐらついては困る。機敏な対応で「雨降って地固まる」としてほしい。
干支(えと)で辛亥(かのとい)の年にあたる100年前の10月10日、中国の長江中流域、武昌で清朝に対する蜂起が勃発した。これが引き金になって、アジアで初の共和国である中華民国が誕生し、清朝は倒れた。辛亥(しんがい)革命である。
革命を主導した孫文の理想は、民族、民権、民生という三民主義の実現だった。
孫文は袁世凱との対立、亡命などの苦闘を続けたものの、国民党による統一政権は見ることはできずに世を去った。遺言は「革命未(いま)だ成らず」だった。
その国民党政権も共産党との内戦に敗れ、1949年に台湾に逃れる運命をたどった。
そんな辛亥革命が100年たっても輝きを失わないのは、やはり、中国大陸で連綿と続いた専制王朝を崩壊に導いたという歴史的意義があるからだろう。
「革命の最も堅固な支持者であり、最も忠実な継承者」とする共産党は、台湾との統一を見据えて様々な記念行事を開く。
しかし、孫文が訴えた民主制を求める「民権」や、行政と立法などの権力分立は受け入れていない。そこが健全な発展の足かせとなっていて、国民の不満の原因でもある。とても、革命の忠実な継承者とは誇れまい。
一方で、台湾は民主化を果たした。民主化は言論の自由を保障し、野党からは「大陸で生まれた孫文と台湾は関係ない」との声も聞かれるほどだ。
日本で辛亥革命が関心を集めるのは、多くの人々が幅広い支援をしたからだ。また、日本留学経験者が革命の主力を担ったことも注目される一因だ。
しかし、現実の日中関係は昨年秋の尖閣諸島沖衝突事件の影響から抜け出せていない。
菅直人・前首相は施政方針演説で「孫文には、彼を支える多くの日本の友人がいました」と語った。これは、革命100年を日中関係改善の糸口にしたい意欲の表れだったのだろう。
しかし、革命の日本人関係者には無私無欲の人もいたが、中国利権を目指した野心家が多かった。清朝への配慮などから当時の政府は孫文に冷淡だった。
そして革命から20年後には満州事変が起きた。日本は孫文の求めた「王道」ではなく覇道で中国を侵略した。
そんな歴史を凝視せず、辛亥革命のいいとこ取りをしただけでは、安定した友好関係は築けまい。来年は中華人民共和国と国交樹立して40年を迎える。
節目の年に次の100年を視野に入れ、政府と民間は重層的な関係構築につとめるべきだし、大国の地位に戻った中国も未来志向で臨んでもらいたい。