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2011年10月6日(木)付

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自民党人事―派閥栄えて、党が沈む

二大政党制のお手本のように言われる英国でも、政権交代はそれほど頻繁には起きない。近年ではサッチャー、メージャー両首相の保守党政権は18年、次のブレア、ブラウン両首相の労働党政権は13年、続い[記事全文]

検察の理念―真に公益代表する者に

検察庁が、仕事に取り組む際の心構えと姿勢を示す基本規程「検察の理念」をまとめた。証拠改ざん事件を受け、検察運営に外部の意見を取り入れる仕組みや監察部門の設置、特捜部の改[記事全文]

自民党人事―派閥栄えて、党が沈む

 二大政党制のお手本のように言われる英国でも、政権交代はそれほど頻繁には起きない。近年ではサッチャー、メージャー両首相の保守党政権は18年、次のブレア、ブラウン両首相の労働党政権は13年、続いた。

 野党には、つらく、長い年月だったに違いない。だが、その「冬の時代」に磨いた政治力、培った政策立案能力が、政権を奪回したあとに生きる。

 ブレア氏は、経済成長を維持しつつ貧困や格差を克服する「第3の道」を見いだし、いまの保守党のキャメロン首相も福祉や環境重視にかじを切った。

 さて、日本の自民党はどうしているだろうか。

 下野してから2年が過ぎた。この間、再生をかけて「自助自立」を打ち出した新しい綱領を掲げた。「日本再興」と題した中長期政策もまとめた。

 だが、民主党政権への失望感が広がっているのに、自民党への期待感は膨らまない。

 そして、再起への陣固めにするはずの党人事が、党の根っこの部分がちっとも変わっていないことを実証してしまった。

 まるで「先祖返り」のように派閥政治がむき出しなのだ。

 谷垣禎一総裁は、石原伸晃幹事長、大島理森副総裁を留任させる一方、新たに茂木敏充政調会長、塩谷立総務会長、岸田文雄国対委員長を起用した。新任の3人はそれぞれ額賀、町村、古賀の3大派閥の出身だ。

 参院でも、1カ月余の人事抗争の末に、派閥順送りを拒んでいた中曽根弘文会長の人事案が否決され、3大派閥の意向に沿う形で、溝手顕正幹事長、岩城光英政審会長が固まった。

 長老たちが仕切る派閥の復権は、いったい何なのだ。谷垣氏は衆院解散・総選挙に追い込む戦術を、派閥頼みでやるつもりか。こんな旧態依然の政治では、有権者は振り向くまい。

 党本部が政治資金を管理し、公認権も握るいま、派閥の存在意義は薄れている。それでも党人事のたびに角突き合わせるのは結局、派閥に代わる党内統治の仕組みがないからだ。

 古い自民党の殻に閉じこもっているときではない。野党だからこそ、旧来の族議員の縄張り意識を取り払い、省庁の壁を超えた政策をつくるといった新次元を切り開けるはずだ。

 派閥政治からの完全な脱却をめざすくらいの心意気がほしかった。

 谷垣氏は新執行部発足にあたって「もう一回党を刷新して、国民に信頼してもらえる党に生まれ変わりたい」と語った。言葉がむなしく響く。

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検察の理念―真に公益代表する者に

 検察庁が、仕事に取り組む際の心構えと姿勢を示す基本規程「検察の理念」をまとめた。

 証拠改ざん事件を受け、検察運営に外部の意見を取り入れる仕組みや監察部門の設置、特捜部の改編などを進めてきた。規程の制定で当面の改革策が出そろったことになる。

 公正誠実、法令順守、不偏不党など当然の言葉が並ぶなか、「有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない」と宣言している点が注目される。自らに不利な証拠についても収集・把握に努めよ。そんな記述もある。

 検察官は刑事裁判で争う「当事者」なのか、それとも国民全体の利益を代表する「公益の代表者」か。以前からそんな議論があった。両方の性格を併せ持つとされながら、捜査・公判の第一線ではどうしても当事者の意識が先に立ってきた。「裁判に勝たねば」との思いの行き着いた果てが、証拠に手をつける行為だったといえる。

 その反省に立ち、「公益の代表者」に軸足を置くことをはっきり打ち出した規程は、これからの検察のありようを定めるものとなるだろうし、また、そうならなければならない。

 改ざんは言うまでもなく、被告に有利な証拠の開示を渋ったり、「起訴したからには」といかなる場合でも有罪を主張し続けたりする行為は、「検察の理念」に反する。そのことを、検察の職務に携わる一人ひとりが胸に刻む必要がある。

 日米の検察制度に詳しいD・T・ジョンソン・ハワイ大教授は「米国の検察官は見事な倫理規程を持つが、状況によってほとんど誰もが良心を捨て去ることができる」と論文に書いている。規程づくりは出発点でしかなく、それにどう命を吹き込み、わがものにしていくか。検察再生のカギはそこにある。

 ひとり検察に任せるだけではなく、法律家の養成にあたる法科大学院や司法研修所は、教材や講義の中身を新たな目で見直してもらいたい。

 検察に何を望むのか、社会の側も問い直す必要があろう。

 捜査と裁判で明らかになるのは一定のルールの下で導き出される事実であって、それ以上のものではない。この認識を欠いたまま、例えば基本的に本人の供述に頼るしかない動機や細部の事情の解明を求め、果たされないと不満をぶつける。

 そんないきすぎた期待と批判が、検察を「あしき当事者」に走らせる一因にならなかったか。省みる点は少なくない。

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