<きずな=絆>。東日本大震災のあまりにも大きな犠牲の跡に漂う希望の響き。高齢者を孤独にしない地域なら、きっと災害にも強い地域になれるはず。
名古屋市の都心に近い高層マンション九階のその角部屋は、昼間はいつもドアを開放しています。
部屋主の五十嵐桂葉さん(78)は夫に先立たれ、十年前からそのマンションで母親の関ヨリノさん(百歳)と二人暮らし。ヨリノさんはいたって元気ではあるものの、引っ越し前に足を骨折して以来、車いすの生活です。
◆夕食に招いてみたら
五十嵐さんは、栄養学を教えていた短大を退職後、五年前に食育のNPO法人を設立し、料理教室に講演にと、多忙な日々を送っています。ヨリノさんに「不用心だわ」と小言を言われても、まるで意に介しません。
開かれた玄関には、人の出入りが絶えません。週四日訪れる介護ヘルパーだけでなく、NPOのスタッフや、同じマンションに住むヨリノさんの友人たち。「お元気ですか」とまずヨリノさんに話しかけ、台所でお茶を入れたり、夕飯のおかずを持ち寄ったり。泥棒が付け入る隙はありません。
新築のそのマンションに越してきたとき、五十嵐さんはまず「おばあちゃんの“仲良しさん”をつくらなくちゃ」と考えました。
そこである日、五十嵐さんはエレベーターに乗り合わせた八十歳前後の女性に声をかけました。
少しずつ言葉を交わして打ち解けながら、その人が亡き夫と同郷だと分かったのをきっかけに、夕食に招いてみたのが始まりでした。そのうちに隣人が知人を、知人がそのまた隣人を伴って、角部屋はにぎやかになりました。
◆百寿の笑顔を中心に
隣人たちは、ヨリノさんのお世話や介護をするために訪れるのではありません。ともに時間を過ごしたいから寄り合います。お互いさま、持ちつ持たれつを旨とする、ささやかなご近所づきあいの復活です。隣人の心をノックしてみたら、自宅のドアを開け放つことになったのです。
五十嵐さんのマンションでは、東日本大震災の衝撃から、災害に備えた高齢者の安全確保や避難の手順、飲み水や食べ物をどうするかなどを住人同士で話し合い、自発的に準備を進めようとの機運も高くなっています。
百歳の笑顔が中心にあればこそ、ご近所の<きずな>が着実に育っていくようです。人の輪はつくろうと思わなければできません。しかし、その気になれば、都会のマンションの中にでも、広げることができそうです。
大震災は、高齢社会の防災に大きなジレンマを突きつけました。
東北の被災地には、古くから<てんでこ>の教えがありました。津波が来ると察したら、ほかのことはさておいて、<てんでこ>、あるいは<てんでんこ>、つまりそれぞれに、とにかく素早く逃げなさいということです。津波の速さ、破壊力の大きさを正しく踏まえた教訓です。
被災地では、まずお年寄りを無事に避難させようと、ぎりぎりまで踏みとどまった自主防災組織のリーダーなどが、数多く犠牲になりました。
気候変動の影響か、私たちの暮らし方に問題があるせいか、自然災害は以前より明らかに激しさを増しています。想定外が常態化する中で、自らを守るためには<てんでこ>が正解なのかもしれません。ところが、それが分かっていても、非常時になればなるほど「災害弱者」と呼ばれる人を見捨てては逃げられないのが人間です。私たちはこの矛盾を乗り越えて、想定外の大災害から、ともに生き延びなければなりません。
自然災害の影響は、気象や地形、住環境などによっても変わります。避難や備えのあり方も、地域によって違ってくるはずです。
平時から、地域をよく知り、地域でよく話し合い、高齢者とともに災害を生き延びる知恵や手だてを、地域の中に蓄えておくことが大切です。
日常の会話や交流、こまやかな意思の疎通が<きずな>をはぐくみます。そしてその<きずな>こそ、やがてコンクリートの壁より堅固な堤防になり、シェルターになってくれることでしょう。
◆知識を知恵に行動に
被災地では、過去の経験が足かせになり、まだ大丈夫と過信して避難が遅れたケースも指摘されました。しかし、高齢者の長い人生からにじみ出た言葉や知識は大切です。知識から知恵を生み出し、行動の糧にするのが、後に続く世代の役目でしょう。お年寄りは、やっぱり地域の宝です。
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