HTTP/1.1 200 OK Date: Sat, 17 Sep 2011 03:06:06 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:公園などにある、あの長いすのことを長年、ベンチではなく「ペ…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 公園などにある、あの長いすのことを長年、ベンチではなく「ペンチ」だと思い込んでいた。そんな話を、かなり以前、確か、ある著名作家が書いていた▼そういうどこか愛嬌(あいきょう)のある話ではない。告白すれば、「姑息(こそく)」という言葉の意味を昨日が昨日まで間違えて覚えていた。文化庁の国語に関する世論調査結果を伝える記事で、初めて、それが「一時しのぎ」の意だと知った▼てっきり「ひきょうな」の意とばかり…。いい年をして、しかも文章を書いて口を糊(のり)する者として身が縮む思いだ。不明を棚に上げて言えば、正答者が15%もいて驚いたくらい▼だが、例えば夏目漱石『坊っちゃん』から用例を引いてみる。いたずらをした寄宿生に対し「かえって彼らの反発を招きかねない」などとして穏便な処分を主張する教師らに、山嵐が反論する台詞(せりふ)。<反動が恐(おそろ)しいの、騒動が大きくなるのと姑息な事を云(い)った日にはこの弊風はいつ矯正出来るか知れません>▼どちらとも解せるが、「ひきょうな」の方がしっくりくる気もする。考えてみれば、時を経、人の口を経るうち意味の変化した言葉も少なくはない。「我慢」など、うぬぼれの心を指す原義よりむしろ、逆の耐え忍ぶことを指すようになった語さえある▼だから、ここは一つ「姑息」に「ひきょうな」の意も認めるというのはどうか。それこそ、“姑息”な提案?

 

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