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Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
安く食べれる天丼などと書けば、読者に叱られる前に校正ソフトが「ら抜き」を警告する。そんなパソコンにしばられる身には、話し言葉の「進化」がまぶしい。ら抜きの是非、どうやら勝負が見えてきた▼文化庁の「国語に関する世論調査」によると、「(朝5時に)来れますか」を使う人は、5年前の35%から43%に増え、本来の「来られますか」との両刀遣いを足すと過半の51%になる。10代では「来れますか」が74%と圧倒的だ。彼らが親になる頃には誤用とは言われまい▼ら抜きは日本語の乱れの象徴とされるが、昔からあった。戦争を挟んで書かれた川端康成の「雪国」でも、芸者駒子が「来れないわ」「来れやしない」と多用している▼13年前の岩波新書『日本語ウォッチング』(井上史雄著)は、ら抜きを「千年に及ぶ日本語動詞の簡略化の一部」と説いた。受け身や尊敬の「られる」と区別する利点もあってか、着実に浸透している▼国語調査では、「すごい」を「すごっ」と言う人が36%、「使わぬが気にならない」が43%いた。形容詞の語幹で感嘆を示すのも昔からで、寒(さむ)、怖(こわ)あたりは広辞苑にある。昨今は「早っ」「でかっ」と、何でも語幹で驚くらしい▼古くはソ連、デモからメタボ、就活まで、略語が定着した例は多い。短い口語も、携帯メールを通じて書き言葉に浸透しよう。簡便に流れるのが「生きた言語」ならば、主役は話し言葉で、書く方はそっと後を追う。この現実、まともに見れないほど怖っ。