日本が直面する危機を乗り越えるには、いずれ国民負担増が避けられないことは理解する。それには行政の無駄を削ることが前提だが、野田佳彦首相の所信表明演説からは具体策が読み取れない。
野田首相の演説は、鳩山由紀夫、菅直人と二代にわたる民主党首相のそれとは趣を異にする。
耳目を集めるキャッチフレーズや首相らしい比喩もなく、どちらかといえば地味な、辛辣(しんらつ)な言い方をすれば官僚的な演説は、野田内閣を取り巻く厳しい現状を反映しているのだろう。
希望を安易に語るよりも、国民に覚悟を求める内容である。
首相は、東日本大震災と世界経済危機を「二つの危機」と位置付けた。復興財源では「今を生きる世代全体で負担を分かち合う」と時限的な増税に意欲を表明し、財政再建に向けて「今を生きる政治家の責任が問われている」との表現で、増税への覚悟を促した。
国と地方の債務は合わせて一千兆円に迫り、子や孫たち未来の世代にこれ以上借金を押し付けてはならないのは当然である。
ただ、財政を立て直すには「入るを量りて出(い)ずるを制す」、つまり歳入確保と歳出削減は両輪のはずだが、歳入確保ばかりが先行して語られるのは首相が直前まで財務相を務めたためなのだろうか。
確かに、首相は演説で行政刷新の継続・強化に触れてはいるが、行政の無駄にどう切り込むのか、展望を明らかにしていない。
例えば、既得権と戦い、あらゆる行政分野の改革に取り組むために、事業仕分けの手法を深化させると述べた。一定の歳出削減効果はあったものの、当初予定したほどではなかった手法を深化させても、歳出削減が進むだろうか。
そもそも行政刷新会議は法律の裏付けのない組織のまま二年近くが過ぎた。行政の無駄に本気で切り込むのなら、法的な根拠を持たせることがまず必要ではないか。
さらに今回の演説では、民主党が税金の無駄遣いの最大の要因と位置付け、鳩山、菅両首相が必ず言及していた「天下り」根絶に触れていない。これでは公務員制度改革への意気込みが疑われても仕方がない。
首相は、官僚を排除する前内閣までの誤った政治主導を正し、官僚の力を最大限引き出すことで国難を乗り切ろうとしているのだろう。それは国家行政組織の長たる首相としては当然だが、それが理由で行政の無駄に切り込めないとしたら本末転倒である。
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