大量のがれきは片付いたが、雑草の中、コンクリートの基礎だけが延々と広がる現場からは、あの惨状を想像することは難しい。半年の歳月は確実に被災地の風景を変えた▼名取川の河口に近い宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区は、人口約七千人のうち九百八十四人、およそ七人に一人が犠牲になった。十一日午後二時四十六分、高さ六メートルの丘の上にかつての住民ら約七十人が集まり、海に向かって黙とうした▼「復興に向かっているように見えるけれど、気持ちは前に進めません」と父を亡くした鷹島静さん(40)。避難生活の厳しさからか「こんな思いをするなら逃げなければよかった」と涙ぐむ女性もいた▼子どもが生まれたら、おまえが見ている街はお父さんたちが造ったんだ、と伝えたいと語る三浦圭介さん(26)の言葉に勇気づけられた。「日本は、焼け野原から立ち上がった。昔の人にできて僕たちにできないはずがない」▼同じ日、全国各地で脱原発のデモがあった。東京では五百人近くが経済産業省を「人間の鎖」で取り囲んだ。二千人以上が参加した新宿のデモでは、過剰警備で逮捕者が相次ぎ、警察官から暴行を受け流血した人もいた▼あらためて喪失感に打ちのめされた人、故郷の再建に汗を流すと誓う人、原発に依存しない社会を目指してデモに参加する人。区切りにならない一日をさまざまな思いが交錯した。