<立ち会へねば棺に納むを託したり愛犬の写真と「日本国憲法」>。銀行員だった長男の陽一さん=当時(34)=を9・11のテロで亡くした住山一貞さんはしばらくの間、文字を読む気が起きず、音楽も聴く気になれなかった▼生存を祈って歩いたニューヨークでの日々を思い出し、言葉を探して三十一文字に当てはめると癒やされる気がした。冒頭の歌はテロから七カ月後、陽一さんの遺体の一部が確認された後に詠んだ短歌だ▼なぜ憲法だったのか。あすの追悼式典に出席する住山さんにぶつけてみた。多くは語ってもらえなかったが、焼け跡世代の住山さんにとって、憲法は新しい時代への希望そのものだった▼平和を希求する憲法は、息子の生死の前になぜ無力だったのか。学生時代に陽一さんが使っていた憲法の教科書を棺に入れたのは、戦後日本への自問が込められているように思えた▼米国の対テロ戦争に反対しなかった住山さんだが、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害に疑問を抱いた。「我々の目の前で、できるだけのことを明らかにすべきだった」と▼<公園のレノンゆかりの木陰にて平和を言はずテロを語りぬ>。あの9・11からあすで十年。首謀者は殺されても世界からテロの恐怖は消えない。憎しみの連鎖を断ち切る知恵がほしい。最も克服し難い人類の業であるが。