政権交代から二年。首相や閣僚が主導して成果を挙げた外交は見当たらず、混乱ばかりが記憶に残る。今こそ外交を基本から復活させなければならない。
一年前の今日、尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した。海保を所管する前原誠司国土交通相(肩書は当時)、岡田克也外相は漁船船長の逮捕、送検を強硬に主張した。
自民党政権時代、尖閣問題をめぐり中国は日本の実効支配を黙認する代わりに、日本も中国のメンツをつぶさないという「暗黙の了解」(外務省高官)があった。
◆欠如した対中戦略
靖国神社参拝問題で鋭く中国と対立した小泉純一郎首相でさえ、二〇〇四年三月、中国人活動家が尖閣に強行上陸した事件では、自らの判断で送検を見合わせ、強制送還にとどめている。
船長の送検は中国から見れば、日本が尖閣への実効支配を強化する挑戦に映り、激烈な反発を招くのは明らかだった。ところが、民主党政権幹部には、その自覚も中国に対応する戦略もなかった。
後に前原氏は「日中の間にそんな約束があるなら、事前に教えてほしかった」とこぼし、岡田氏は中国の対応は「当時、誰にも予測できなかった」と強弁した。
中国がハイテク製品に欠かせないレアアース(希土類)の対日輸出制限まで行って圧力を高めると、政権は腰砕けになり「那覇地検の判断」で船長を釈放した。仙谷由人官房長官は学生運動時代の知人のルートにまで頼って首脳会談実現による緊張緩和を求めた。
この間、民主党政権が政治主導の象徴として中国大使に送り込んだ丹羽宇一郎元伊藤忠商事会長に新たな訓令は届かなかった。
◆対米一辺倒に転換
中国に「日中間に領土問題は存在しない」という公式見解を繰り返すほかなかった丹羽氏は「これで外交をしろというのか」と周辺に怒りをぶちまけたと聞く。
民主党政権の稚拙な対応は尖閣に対する実効支配を損なっただけでなく中国の対外強硬論を鼓舞する結果を招いた。しかし、いまだに政権幹部から真摯(しんし)な反省の言葉が語られたことはない。
事件は政権交代直後には「東アジア共同体構想」(鳩山由紀夫首相)を掲げ、対中接近の構えを見せた民主党政権の外交を対米一辺倒に転換させることになった。
「日米同盟の重視」が何より強調され、中国の「高圧的姿勢」(防衛白書)を公然と批判するまでになった。しかし、中国に対するまとまった政策は語られず日中関係は一層、冷え込んだ。
自民党政権時代、政治家は外交官を使い成果を挙げてきた。小泉首相は田中均アジア大洋州局長がひそかにつないだ北朝鮮とのパイプを使い電撃的に訪朝を実現し、拉致問題を進展させた。
安倍晋三首相は谷内正太郎外務次官が深めた胡錦濤主席側近の戴秉国外務次官との信頼関係に頼り靖国問題で五年も途絶えた首脳往来を再開し訪中にこぎつけた。
しかし、民主党政権が政治主導を強調するあまり、外務官僚を政策決定から遠ざけたことで、外務省には「物言えば唇寒し」の雰囲気が広がった。尖閣事件で閣僚が日中の黙契を知らなかったのは、民主党政権を警戒する外務官僚が進言を避けたのが原因だ。
首脳も外務官僚が用意したペーパーを読むのを嫌い、会談で不規則な発言を繰り返した。鳩山首相が、中韓首脳との会談で「米国に依存しすぎていた」と語り、米国から不興を買ったのは、その代表例だ。
首脳が自らの言葉で語るのは必要だが、外交的立場を変えたと受け取られかねない不用意な発言をするのは論外だ。各国首脳の不信を招き、建前だけでない突っ込んだ論議をするのは難しくなる。
鳩山首相も菅直人首相も中国はもちろん、米首脳とも儀礼的会談しかできなかった。これでは普天間問題や東シナ海資源開発をめぐる難局を突破できるはずもない。
外務官僚に頼る外交は突破口を切り開くことはできず最後は政治決断が必要だ。それには外交官を使いこなし情報を集め、ともに戦略を練ることが欠かせない。
民主党外交の二年、政治家と外務官僚は間合いをはかるのに終始した。首脳や閣僚も主要国から信頼できる交渉相手と認められていないのが実情ではないか。
◆授業料は払えない
本来なら民主党政権は国民の審判を受けるべきだ。しかし緊急を要する震災対策が政治空白を許さない。不安があっても外交手腕は未知数の野田佳彦首相、玄葉光一郎外相に期待するほかない。
日本はもう、外交経験の浅い二人のために高い授業料を払う余裕はない。国民にもその気がないことを銘記してほしい。
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