HTTP/1.1 200 OK Date: Fri, 02 Sep 2011 01:05:32 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:「防災の日」に考える “想定外”と決別する:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

「防災の日」に考える “想定外”と決別する

 巨大地震と大津波、原発災害を体験した東日本大震災後の防災対策は“想定外”でごまかさず、常に地震研究の最新の成果を生かすことが急務である。

 織田信長が倒れた本能寺の変から三年余を経た一五八六年初め、中部・近畿地方を「天正大地震」が襲った。飛騨白川郷(岐阜県北部)では山城や集落が埋没、京都・三十三間堂の仏像六百体が倒れるなど被災は広範囲だった。推定マグニチュード(M)7・8と大規模だが震源は未確定だ。

 この地震では二つの古文献に驚くべき記述がある。いずれも若狭湾の大津波の描写である。

◆大津波、若狭湾を襲う

 京都・吉田神社の神主で、明智光秀と親交があり本能寺の変への加担を疑われた吉田兼見の日記「兼見卿記」天正十三年十一月二十九日条は「丹後、若州、越州(京都府、福井県など)の浦辺に波が打ち上げられ、家々はことごとく押し流された」という。

 キリスト教布教のため一五六三年来日したイエズス会司祭ルイス・フロイスは、晩年まで心血を注いだ大著「日本史」天正十三年の章で、地震動が四昼夜続き、「若狭の国の大きな町」を「高い山に似た大波が襲い、一切のものが海にのみ込まれた」と述べる。

 フロイスが「長浜」と記す「大きな町」は「高浜」の誤りと解釈され、そうだとすれば今の福井県高浜町に当たる。同町に関西電力高浜原発があり、近隣の同県おおい町、美浜町、敦賀市には関電、日本原子力研究開発機構、日本原子力発電の原発が林立する。

 この史料は故飯田汲事・名古屋大名誉教授(地震学)の著書「天正大地震誌」に収められ、刊行の一九八七年以来周知である。しかし関電は地元自治体、住民に「これまで若狭湾で大きな津波被害はない」と説明してきた。

◆原発真下に巨大活断層

 機器による観測ができない近代以前の地震は、同時代に近い文献が記す被害の範囲を調べ、震源や規模を類推する。当然、記述は筆者の実体験、伝聞が入り交じる。とはいえ、都合のよい記述のみを拾い出して“安全”とこじつければ、大災害の対策を誤る。

 東日本大震災自体、不都合な事実に目をつぶったことが、被害を大きくした原因ではないか。

 独立行政法人・産業技術総合研究所の研究チームが二〇〇四年秋から行った宮城、福島、茨城各県の太平洋側約四百カ所の調査で、八六九年七月の貞観地震津波が運んだ堆積物を海岸線から約三キロ内陸部でも確認していた。

 大震災の大津波は決して“想定外”ではないが、東京電力福島第一原発の重大事故も同じである。東電は〇八年春、同原発が波高十メートルを超す津波に襲われる可能性があると試算済みなのに、大震災四日前まで経済産業省原子力安全・保安院にすら報告せず、対応策を取らなかった。

 東海地震切迫を唱えた石橋克彦・神戸大名誉教授(地震学)は、〇七年七月の新潟県中越沖地震で東電柏崎刈羽原発が損傷し、「原発震災」が現実に緊急課題になったと強く警告していた。

 大震災は、世界的に高い水準と自負していた日本の地震研究にも衝撃を与えた。一方で、その反省から新しい知見が次々に出てきているのは心強い材料である。

 (1)東海、東南海、南海地震の三連動によるM9級巨大地震の予測(2)東海地震震源域にあり、停止中の中部電力浜岡原発(静岡県)真下から高知県室戸岬に至る巨大活断層存在の可能性(3)伊勢湾でM9地震津波の波高や浸水域、到達時間見直し(4)過去の地震・津波の痕跡を発掘する「地震考古学」の成果−などである。

 東海地震の予知も重大な疑問があり、突然起きる心配も大きい。

 大切なのは、これらの研究成果をどう生かし、今後の防災対策を組み替えていくかである。

 東北地方の被災地復興は遅々として進まない。とくに原発事故の放射能で汚染され避難を余儀なくされた住民は故郷へいつ帰れるかわからない。もし三連動巨大地震が起きれば、東北と桁違いに多くの住民が被災する。若狭湾沿いの原発が重大事故に遭えば名古屋圏と近畿圏、浜岡原発なら首都圏も大きな被害が予想される。

◆ご都合主義の安全神話

 中央防災会議は防災基本計画の見直しを進めている。専門家の厳しい指摘を受け、遅まきながら関電なども、若狭湾で過去の津波を調査する方針を決めた。

 これまでの災害対策は、時には意図的に、都合のよいものだけを取り、つじつまをあわせてきたといって過言ではない。原発の安全神話はその典型だ。大震災後初の「防災の日」は「見たくないもの」を見据えて、考え方を転換する転機にすべきである。

 

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