菅直人政権の「脱原発宣言」は、従来の“国策”を大きく揺るがした。福島の現状と国民の心情をくみ取るなら、次の政権も原発に頼らない国づくりに努力すべきだ。もはや後戻りは許されない。
「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」。七月十三日夕、菅首相は記者会見で唐突に「脱原発宣言」を打ち上げた。
党内外から賛否両論が渦巻いた。「政権延命のためのパフォーマンス」とも批判された。首相自身がその直後「個人的な考えだった」と弁明するなど、方針は揺れ動いた。
原発中心のエネルギー政策を見直すために設置した政府のエネルギー・環境会議は七月末の中間整理案で「安全性を高めて活用しながら依存度を下げていく」とまとめ、当初の脱原発から脱原発依存に退いた感もある。
とはいえ、再生可能エネルギー普及のために、これまで電力会社が独占してきた発電事業と送電事業を分離する発送電分離の必要性にも触れている。
これらを受けて国民的な議論を重ね「革新的エネルギー・環境戦略」が来年夏までに策定される。重要な節目になる局面である。
脱原発とか減原発とか、言葉の言い回しはさておいたとしても、原発を徐々に減らし、自然エネルギーの普及開発を図るという方針がエネルギー政策の中軸にある点に変わりはないだろう。
福島第一原発事故からやがて半年が経過する。事故は収拾に向かうどころか、高濃度の放射性物質に汚染された周辺地域は長期間にわたって人が住めない状態である実態が明らかになってきた。
電力がもたらす豊かさを享受しつつも、人々の心の中では目に見えない放射能への恐怖、ひとたび事故を起こせば膨大な経済的損失を伴う原発への不信と不安が大きくなっている。
代表選への出馬が見込まれる七人の候補者はいまのところ、だれも脱原発依存路線の継承を明言していない。原発事故対策を担当した馬淵澄夫前首相補佐官さえ「脱原発依存だが、原発はなくせない」との立場に立っているようだ。
不人気だった菅政権の政策路線を否定するのは簡単だ。だが国民の不安を将来にわたって取り除き、本当に豊かな社会を維持するためにどうすべきか。原発がいらない社会、原発に代わる自然エネルギーの普及開発、電力事業改革の看板を下ろしてはならない。
この記事を印刷する