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天下太平の江戸時代は園芸がブームになった。あちこちに草花を売る露店が立ったのだろうか、古川柳に〈縁日で草の名を知る大都会〉の一句がある。大都会という言葉に驚くし、どこか現代社会の一コマを見るようでもある▼だが今なら、縁日に頼らなくても図鑑類は整っている。なのに先週土曜日の小欄で、この一句を痛く思い出す取り違えをした。育てている花を夕顔と書いたのは、正しくは夜顔でした。不明を恥じつつ、おわびします▼この夜顔はヒルガオ科で、俗称で広く「夕顔」とも呼ばれている。種子も「夕顔」として売られることが多いが、江戸期の蕪村が〈ゆふがほや竹焼く寺のうすけぶり〉と詠んだ、古くからあるウリ科の夕顔とは別のものになる▼夜顔は明治になって渡来したそうだ。思えば「ヨルガオ」より「ユウガオ」の方が音にしやすく、楚々(そそ)とした感がある。清少納言も「枕草子」で夕顔という名を「をかし」とほめていた。夜顔の人気が高まり育てる人が増え、通り名が広まったのだろう▼とは言っても、双方の違いはよく知られているという。ふわふわと柔和な夕顔は平安朝美人の、きりりと高貴な夜顔は文明開化の麗人の面影を宿す。読者からのご指摘をいくつか頂戴(ちょうだい)して教えられた。感謝をいたします▼はかなげな花の姿に似ず、夕顔にはごろりと大きな実ができて干瓢(かんぴょう)の原料になる。清少納言は実を無粋と見たが、どこかユーモラスだ。来夏はあやまたずに育てて、平安美人に相まみえたい。