HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Fri, 19 Aug 2011 23:08:27 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:高台移転と復興 子孫を守る「住民自治」:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

高台移転と復興 子孫を守る「住民自治」

 高台移転はできるのか−。大津波で壊滅状態となった三陸の人々には復興への選択が待つ。百年後の子孫を守るのは「住民自治」ではないだろうか。

 “津波太郎”の異名をとる岩手県宮古市田老地区を先月、訪ねた。高さ十メートル、延長二・四キロ、街を取り囲むX字形の防潮堤は無残に壊れ、集落跡には住宅の基礎コンクリートだけが残っていた。

 同地区は明治二十九年の津波で千八百人余が死亡・行方不明、昭和八年でも九百人余が犠牲となった。翌年から防潮堤の建設が始まり、昭和五十三年までかけて“万里の長城”が出来上がった。

◆浜に戻った漁師たち

 田老町史津波編で生存者が語っている。「年がたつにつれ、高台から漁に便利な海に近い場所に居を移し、被害を受けるパターンを繰り返してきた」。中央防災会議が二〇〇五年にまとめた報告書は「大漁を機に浜の仮小屋が本宅になった」「納屋集落が定住に発展した」と経緯を詳述している。

 今回の津波でも百九十人が死亡・不明となった。長城に守られていたはずの跡を現場に見た。「今度こそ高台へ」。大半の住民らは思い始めている。

 三陸はリアス式海岸が天然の良港となり、漁業で生計を立てる住民が多い。「百年に一度あるかないかの津波のために、不便な暮らしはできない」が、高台から下りた漁師たちの本音だろう。「明治」の津波は午後八時すぎ、「昭和」は未明に襲来した。今回も暗闇の中だったら、と思うとぞっとする。百年後の子孫が被害に遭わないよう守りたい。

 高台移転は「昭和」の三カ月後、文部省(当時)の震災予防評議会がまとめた「津浪災害予防に関する注意書」にある。「浪災予防法として最も推奨すべきは高地への移転なりとす」(原文)。既に究極の防災が提案されていた。

◆村長の信念が救う

 同県大船渡市三陸町吉浜地区は注意書を守った。「明治」で住民の二割を亡くし、高台移転が始まった。「昭和」でも被害を受けたため、当時の村長が私財をなげうってまで二千戸余の集団移転を敢行した。今回は不明一人。住民を動かした村長の信念が、子孫を救ったといえる。

 被災地の大半は高台移転に前向きで、各市町村が住民説明会やアンケートを続けている。漁師の中には反対意見が根強く「防潮堤をもっと高く」「盛り土で新しい街を」と逆提案も出る。地域ごとに事情も違う。じっくり話し合ってほしい。どう合意形成していくか、住民自治が試されている。

 一九九三年の北海道南西沖地震の大津波で壊滅した奥尻島青苗地区。島南端の集落は高台の団地に集団移転した。漁港周辺の市街地は住民の三分の二が高台に移ったが、漁師ら残る三分の一は「海が見える場所に住みたい」と残った。奥尻町は集団移転を強制せず住民の選択に任せる代わりに、低地を防潮堤と盛り土で守った。

 住民合意なき復興の失敗は阪神大震災で経験した。被災地を高層住宅化したことで従来の地域コミュニティーが崩壊し、高齢者の孤独死を招いた。復興が押しつけの公共事業になってはいけない。

 国が被災地を買い上げ、高台に用地を確保してくれるのか−。被災地は国の全面支援を求めている。国が四分の三を補助する防災集団移転促進事業に基づき宮城県が試算したところ、県内の高台移転総事業費は計二兆一千億円、自治体負担分は八千六百億円に上る。膨大な金額だ。

 高台移転は菅直人首相が四月に言及し、復興構想会議が六月に提言した。政府首脳は「国が全額出す方向」とも語った。なのに、政府の復興基本方針には文言も支援内容も盛り込まれなかった。財務省の思惑が見え隠れする。財源措置を明示しなければ、またぞろ責任逃れになる。国の方針を待ちきれず、低地に住宅や事業所を建て直し始めた人たちもいる。気掛かりだ。

 「此処(ここ)より下に家を建てるな」。岩手県宮古市姉吉地区の集落から海岸へ下りる道路脇の石碑に刻まれていた。「明治」「昭和」を教訓とした先人の教えを守り石碑より下に家はない。今回の津波は手前五十メートルまで達したが、全十一戸に被害はなかった。

◆日本人「連帯」の源

 「命を守る」は最優先されなければならない。高台移転を成し遂げた集落には「命を守る」信念の指導者と住民の総意があった。合意形成の過程で発揮されたのは自治にほかならない。日本人が連帯を築いてきた源でもある。

 関東大震災後、帝都復興院総裁を務めた後藤新平は「人間には自治の本能がある」と語っている。自治は人間本来の営為の一つなのだという。復興の一つひとつが「住民自治」の仕事である。

 

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