<川風の涼しくもあるかうち寄する波とともにや秋は立つらむ>紀貫之。既に立秋は過ぎたといってもまだ酷暑の最中。とても秋の気配はないが、この歌の感覚はわかる▼むしろ、暑い時こそ恋しい涼風だ。乗客らも、きっと、川風を楽しんでいたのだろう。だが、それが暗転してしまった。浜松市天竜区の天竜川で起きた川下りの舟の転覆事故。亡くなった人もあり、不明者のうちには幼子もいると聞けば、一層胸がふさぐ▼二十数年前、もっと上流の長野県側で起きた転覆事故は、駆け出し記者のころ取材した。現場はかなり離れているけれど、同じ天竜川の川下り。また起きてしまったかという思いがどうしてもある▼今回事故のあった川下りは、静岡県観光局の運営するホームページ「しず旅」の中で、こんなふうに紹介されている。<舟はゆったりと下りますので小さなお子様から、ご年配の方まで安心してお楽しみいただけます>▼現場近くの天竜川も、以前、釣りで訪ねたことがあるが、確かに激流というより、全体としてゆったりした流れという印象がある。だが、外見は外見だ。<この河/おそろし/あまりやさしく/流れゆき>高柳重信。どれほど<やさしく>見えても、どこに落とし穴があるか分からないのが自然である▼運航する側に<おそろし>の感覚は十分にあっただろうか。それが気になる。