HTTP/1.1 200 OK Date: Mon, 15 Aug 2011 23:05:43 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:昭和十七年、陸軍三二師団に入営した俳優の故・池部良さんは見…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 昭和十七年、陸軍三二師団に入営した俳優の故・池部良さんは見送りに来た父から、憲兵に聞こえそうな大きい声でこう言い聞かされた▼「この戦争は、得体(えたい)が分んねえんだ。俺なんかにでも納得できる戦争なら、お前にも死んで来いと言えるが、得体が知れねえで、ただ天皇のために奉公しろったって、そりゃ聞えませぬ伝兵衛さんだ。江戸っ子の律義を、こんなことに使うのはもったいねえ。弾丸(たま)が飛んで来たら除(よ)けろよ」▼父鈞(ひとし)さんは風刺漫画の第一人者としても知られる著名な洋画家。父の顔を池部さんが見つめると「雪が目玉に入りやがって」と頬を伝い落ちる涙を手のひらでぬぐったという(『江戸っ子の倅(せがれ)』)▼池部さんは南方で輸送船が米潜水艦の攻撃を受けて撃沈され、十二時間漂流して救出された。島のジャングルではカエルやヘビを捕らえ、それも尽きると雑草を煮て生還した▼池部さんは、東京裁判(極東国際軍事裁判)を勝者による「烙印(らくいん)」と批判したうえで、戦争を起こした陸海軍指導者の責任を日本人自身の手で追及すべきだった、と語っていた▼戦後、冷戦が始まり、日本の指導者の戦争責任はあいまいになった。新聞は自らの責任に向き合わず、民主主義の礼賛に転じた。「第二の敗戦」ともいえる福島第一原発事故の責任をどう追及していくのか。再び同じ過ちを繰り返してはならない。

 

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