HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 19866 Content-Type: text/html ETag: "c9bb0f-482f-649e0c40" Cache-Control: max-age=5 Expires: Tue, 16 Aug 2011 03:22:14 GMT Date: Tue, 16 Aug 2011 03:22:09 GMT Connection: close asahi.com(朝日新聞社):天声人語
現在位置:
  1. asahi.com
  2. 天声人語

天声人語

Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)

2011年8月16日(火)付

印刷

 終戦の日のきのう、靖国神社から千鳥ケ淵戦没者墓苑までを歩いた。炎天下、結構目立つのは若い世代の姿だ。逆に、戦場を体験した世代とおぼしきご高齢は随分と減っている。戦後66年。時はただ、過ぎに過ぎる▼腰をかがめ、杖に頼る姿は、かつては戦没兵の父母だった。この日は、近くの日本武道館であった全国戦没者追悼式に、戦没将校の妻馬場宮子さんが97歳の最高齢で参列した。その「妻」も、20年前は参列者の4割を占めていたのに今年は1%に満たない▼やはり時の流れだろうか、おとといの朝日歌壇にも戦争詠(えい)は意外に少なかった。夏八月には毎年、鎮魂、追想の歌が湧くように詠まれて戦後世代の胸も突いたものだ。詠み手の多くは父母、妻や恋人、きょうだいたちだった▼たとえば〈出撃のせまりし君が文面にはじめて吾が名呼びすててありき〉井上真樹子。昭和40年代の歌で、再び帰らなかった人は恋人か許婚者であっただろうと、選者だった近藤芳美氏は記していた。痛哭(つうこく)、哀切を当事者として語りうる人は減りつつある▼「人の世の不条理や真(まこと)は、死と涙を強いられた人の心にこそ秘められている」は戦争の傷痕を撮り続ける写真家江成常夫さんの言だ。東京で開催中の写真展「昭和史のかたち」を見ると、一枚一枚がこの国の過去と現在を突きつけてくる▼国のために死んだのか。国のせいで死んだのか。思いは様々でも、その死を礎(いしずえ)に「今」はある。風化にあらがう不忘を、不戦とともに胸に畳みたい。

PR情報