HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 14 Aug 2011 21:09:02 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:終戦の日に臨み考える 新たな「災後」の生と死:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

終戦の日に臨み考える 新たな「災後」の生と死

 長大な堤防が防ぐはずだった大津波。安全と信じた原発の事故。日本は戦災に続く新たな「災後」を迎えました。死生観も再び揺さぶられています。

 「敗色が濃くなるなかで戦争に駆り出された若者たちは、どうやって精神の均衡を保ったのか」

 九十歳を過ぎた父に尋ねたことがあります。父は答えました。

 「国のために死ぬことが当たり前だった。特攻隊で米国の軍艦に突っ込む若者たちは特別な存在ではなかった。ただ、残り少ない日々を大切にしようとは考えた」

◆社会おおう重苦しさ

 敗戦は覚悟していた死から国民を解放しました。敗北感より喜びが勝っていたことは米進駐軍を「解放軍」として歓迎する動きがあったことから、うかがえます。

 突然の震災に何の心の準備もなく、自身や近しい人々の命、古里を奪われた悲劇は戦災にも匹敵します。ただ、被災の規模は全国の主要都市が焼け野原になった先の大戦に比ぶべくもありません。

 それでも戦後の解放感と違い震災後も社会をおおう重苦しさは放射性物質を排出し続ける福島第一原発があるからです。日本は広島、長崎の原爆を体験しましたが、地域が限定され占領下で情報が制限されたこともあり、多くの人々は被爆者の痛みをわがこととして感じることはできませんでした。

 しかし、「広島原爆二十個分」(児玉龍彦東京大アイソトープ総合センター長)とも推計される福島第一原発による放射性物質の広がりは、大気や水を通じた拡散にとどまりません。農産物や食肉、魚介類に対する汚染によって不安を日本全体に広げています。低レベル放射線の人体への影響は科学的な追跡調査のデータが乏しくはっきりしたことがわかりません。これが政府発表の「ただちに人体への影響はない」「暫定規制値」といったあいまいな表現の原因です。

◆見えない敵との闘い

 専門家の中でも楽観的と悲観的に見方は分かれていますが、子どもはもちろん、大人もできるだけ被ばくを避け、がんなどのリスクを最小限にすべきだという点では意見が一致しています。

 目に見えない放射能との闘いは原発事故が長引くにつれ社会に疲労感を広げています。東日本大震災の影響で、東海、東南海など他の大地震が起きる可能性が高まったともいわれることもあって、一種の無常感さえ漂ってきました。

 しかし、戦争では、それまで培ってきた産業基盤や技術だけでなく多くの人的資源を失い、占領下に置かれても、人々は立ち上がり日本の復興を成し遂げました。

 それに比べ、大震災で打撃を受けた東北の製造業が短期間で回復したように日本の産業基盤は健在です。放射性物質との闘いで武器になる食品の汚染測定も日本は世界一の技術を誇っています。

 放射性物質を除染し、子どもたちの命を守ることを、あきらめることはありません。長期にわたる放射線による影響調査やがん予防は、先進国の中で立ち遅れている日本のがんへの取り組みを一段と強化する機会になるはずです。

 がんは現代医学の進歩で既に死に至る病ではなくなりました。早期発見による生存率は飛躍的に高まり、完治も夢ではありません。抗がん治療も、生活に影響を与えない方法が開発されています。

 もちろん、再発や転移の恐れが付きまとう手ごわさに変わりはありませんが、がんによる死は突然、襲うものではありません。

 多くの末期がん患者が雄々しく病に立ち向かい、残された時間の中でも立派な生き方をのこした例を私たちは数多く知っています。大津波では多くの人々が心の準備もなく突然、命を奪われました。がんは、それを直視すれば、闘い迎え撃つことができるのです。

 誤解のないように付け加えますが放射能汚染や、がんを甘受せよと言っているのではありません。あらゆる手段で放射能と闘い、がん予防に尽力すれば恐れおののくことはないと言いたいのです。

 震災と放射性物質の拡散は、ふだん人々が忘れている死を身近なものに感じさせました。しかし、無力感や虚無感にとらわれることこそ、今は排すべきです。

◆一生の四季を豊かに

 幕末の思想家、吉田松陰は二十九歳の若さで処刑されました。処刑の前日、人間の寿命には長短があるが、「それにふさわしい四季がある」と述べ、明日死ぬわが身にも「四季はすでに備わっており、花を咲かせ実をつけているはずだ」(「留魂録」講談社学術文庫)と書きのこしました。

 生ある限り、自らの四季を豊かにする努力を惜しまない。それこそが新たな「災後」に、まず心の復興を成し遂げる一歩となるのではないでしょうか。

 

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